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担当者のつぶやき、徒然なるままに・・・2007

 このページは、担当者個人(2005年9月現在32歳の男)の心のつぶやきというか、感じたことなどを書き殴っていくようなページの続きです。初めは、とりあえず1ページに書き殴っていこうと思っていたのですが、時間が経つにつれてページが長くなって、読みづらさが目立ってきたので、ボッソウ訪問の機会ごとに分けてた方がいいかと思い、ページを分けました。

 相変わらず、興味のある方が読んで頂ければそれで良し・・・極端な話、誰も読まない、そんな結果になっても気にしないようなページです。
 
 まじめに読むようなページではないので、緑の回廊プロジェクトに興味がある方が積極的に読むようなものではないと思って頂いてもいいと思います、悪しからず・・・

2006年11月11日

SAGA9(アフリカ・アジアに生きる大型類人猿を支援する集い)がありました。この夏にボッソウに行ったときの報告書(ごくごく簡単なもの)を松沢先生のお渡ししたところ、ポスター展示して欲しいとのご依頼。恥ずかしながら、展示させて頂くことになりました。しかし、残念なことに、(というか当然かも・・・)参加者は霊長類に関しての関心が高く、植栽に関することには興味なし。質問もほとんどなく、すごすご帰ってきました。しかし、こういう事をやっているんだ、ということを発表していくことに意味があるのだと思います。少しでも多くの方に認識して頂き、植栽に協力して頂ければなぁ、と思ったのでした・・・

2007年4月7日
京都大学霊長類研究所(愛知県犬山市)で、ボッソウ会議がありました。ボッソウに行ったことがある研究者などがボッソウに関連することを年に一度集結して報告を行うものです(多分・・・)。なぜか、ボクもそこに行くことになりました。もちろん、突然のことだったので、発表はしていません。だって、英語で発表だし、資料も作っていなかったから・・・そこで、昨年末に緑の回廊などの調査を行ってこられた大橋さん(霊長類研究所)とお会いし、少し緑の回廊についてお話しをさせて頂きました。どうやら、順調に木々は成長しており、思った以上の成果があるとのことでした。しかし、その一方で、訃報もありました。昨年9月に、ボクが食事などでお世話になったニョンコという女性が亡くなったというのです。昨年12月のことだったらしいです。ボクがお世話になってから3ヶ月余りしか経っていない・・・アフリカの地の恐ろしさを感じました。もしかしたら、ボクがお世話になっているときにはすでに病気か何かにかかっていたのかも知れませんが・・・ボッソウ会議の最後には、今後のボッソウ訪問について、順番に松沢先生が尋ねておられました。ボクが初めてボッソウに行ったときに、ご一緒した牛田先生も、「牛田先生はいつ?」と尋ねられて、一瞬言葉を失っておられました(少なくとも、ボクにはそう見えたような・・・)。
そして、「○○(ボクの名前)さんのような専門の方に(といわれるほどの人間ではないのですが)もう一度来て頂いた方がありがたいのですけど・・・」と大橋さんの一言。 う、やっぱりそう来たか・・・。どうやら、またボッソウへ行くことになりそうな予感(というか極めて確信に近い)がしました・・・

2007年7月10日
松沢先生からメールを頂きました。ボッソウへの渡航の計画があるというご連絡でした。そして、私の渡航を希望されている内容でした。ついにこの日が来たか・・・これでボッソウ渡航は決定かな・・・そして、私のパスポートの有効期限が半年を切ってしまいそうです。ギニアへの渡航ビザを取得するには、確か、半年以上有効期間が残っていないといけないはず・・・あわててパスポートの更新に行くことになりました。久々のパスポート更新だなぁ。

2007年7月13日
京都大学霊長類研究所の大橋さんからメールを頂きました。ギニア渡航の日程決定です。渡航予定は8月4日。あんまり日がないなぁ・・・急いで用意しないと・・・

2007年7月18日
ギニア渡航の航空便の予約が確定しました。う~ん、決定です。しかし、今まで以上に「ギニアへ行くんだ」という実感がないのは一体・・・?あ、今日新しいパスポートを受け取りました。新しいパスポートにはICチップが入っていて、機械で読み取ると個人情報(パスポートの内容)が画面出でて確認できるようです。偽造防止の強化と言ったところでしょうね。しかし、これまでのパスポートと比べると、「折り曲げるな」とか「磁気に近づけるな」とか注意書きが多くなって、扱いにくいです。結構、パスポートって海外ではポケットに入れていて、少し曲がったりして徐々に貫禄が出てくるような扱いをしていたのに・・・いきなり壊しそうで怖いです・・・

2007年7月29日
いよいよギニアが近づいてきたという感じです。今日からメファキンを服用しています。メファキンは、マラリアの予防および治療薬。アフリカやアジアなど、マラリア流行地域に渡航する1週間前から服用し、帰国してからも1ヶ月間服用するというもの(1週間に1回、1粒服用する)。はじめてメファキンを服用したときは、若干、フワフワとした感じがした上に、睡眠が浅くなって、夢見が悪くなったのですが、それも、最初の服用から2回目くらいまででした。日本で認可されている唯一のマラリア予防薬。なかなか処方してくれる病院は少なく、また、処方することも少ないようで、1年前に処方してもらった奈良公園中央病院にいったところ、名前を見た瞬間、「また、植林にいかれるんですか?」と聞かれてしまいました。覚えておられたようです・・・(そうそうアフリカに何度も行く人っていないんだろうなぁ・・・)今回は最長の1ヶ月半におよぶ旅程。どうなることやら・・・

2007年8月4日(土)
台風は昨日の内の通過しており、穏やかな天気になっていました。11時50分のフライト予定が、11時40分に変更。予定が早くなることもあるんですね・・・。チェックインカウンターに行って、このときになって、初めてマイレージカードを忘れたことに気付きました。何かを忘れるこの悪い癖、どうにかならないものでしょうか・・・トランクのX線には、詰め込んだ草刈り釜の刃が映し出されています。何か言われないかドキドキしていたけれど、何も言われませんでした(ホッ)。どうやら、世の中は夏休みという期間らしく、団体旅行などが多いからか、席はすでに通路側がないといわれてしまいました。そういえば、今回はキャンセル待ちで、関西国際空港からパリへの直行便を確保したのだから、贅沢は言ってられません。この飛行機でなければ中部国際空港から飛び立たなければならなかったくらいだから・・・チェックインを済ませると、コーヒーを飲みに行った。普段はあまりアイスコーヒーを飲まないけれど、コナクリを離れると冷たいものとは縁遠くなるので、アイスコーヒーを飲みました。(冷蔵庫がない生活になるし、冷たいものは危ないし・・・)10時50分、出国。いよいよ第3回目のボッソウへの旅がはじまりました・・・11時20分頃、搭乗開始。例によってファーストクラス、ビジネスクラスからの搭乗であるが、庶民の私はもちろんエコノミーです。
16時50分に飛行機はパリ、シャルルドゴール空港に着陸。いつもは2Fに到着するはずなのに、2Eに着いてしまう。大橋さん達とちゃんと合流できるのだろうか?不安をかかえつつ、入国審査。飛行機を降りてから結構歩かされて、しかも結構並んで、荷物はなかなか出てこずにすこし焦る。荷物を受け取って外に出ると、大橋さんと竹元さんを発見。無事、合流できてホッとしました。RERでLuxemburgという駅まで移動。切符は8.2ユーロ。結構高いですね・・・空港に乗り入れているくせに、改札はとても小さく、かなり太った人なら手ぶらでも通れないんじゃないかと思うくらい狭いのです。まるで、競馬のデートのようです。トランクを持っていると入るのは大変。そして、RERに乗り込むと暑い。エアコンがついていないんですね、パリの鉄道って・・・しかも、窓は片側しか開かず、その上わずかしか開かない・・・30~40分くらいするとLuxemburgに到着。宿泊は小さなホテル。荷物を置いてから夕食に出かけました。9時を過ぎても明るく、パリの夏の夜は長く、食事の後はBarに行きました。こんなにのんびりしていて良いのだろうかと思うけれど、向こうに行ったら娯楽はないのだから・・・許してって感じですかね。

関西国際空港で出発待機中のエールフランス。ここからまたギニアへの旅がはじまるのです・・・

フランスはパリ、シャルル・ド・ゴール空港。夏休みということもあって、観光客がたくさん。そう、世間は夏休みですねぇ・・・。到着予定が2Fから2Eに急遽変更で慌てつつも撮影した写真です。

パリの夜の風景。夜9時(サマータイムなので、通常の時差で考えると8時)です。まだまだ空は白んでいて夜という感覚がありません。多くの人々がまだ食事やお酒を楽しんでいました。

2007年8月5日(日)
朝食後、後街にでました。しかし、日曜日なので店はほとんど閉まっている・・・(日曜日に店を閉めるというのは日本では考えられない・・・)店が集まっているというLes Halles(レ・アール)にも行くが、やはり休み・・・(halles:中央市場という意味らしいです)。大橋さんがザックなどを買おうと思っていたらしいけれど・・・買い物は諦めてちょっと市内観光することにしました。今回は市内のホテルだったので、飛行機の時間までちょっとでもパリを観ていきましょう、ということになったんです。11時過ぎにホテルに帰って、12時にチェックアウト。またRERでシャルル・ド・ゴール空港に向かいます。空港に着くと、2Fを目指して歩く(CDG空港には1,2,3と3つのターミナルがあって、そのなかでも2にはA~Fまであるのです)。しかし、コナクリ行きは7月から2Eに変更されたと書かれている・・・カウンター近くに行って、チェックインがはじまるのを待つことに・・・大橋さんは荷物を分けたいので、ザックを探しに行ってくるといって慌てて走っていく(パリからコナクリのフライトは23kg×2/人ということになったらしいのです)。竹元さんは荷物をラッピングしてもらうところを探しに行く(荷物荒らしの抑制の意味で荷物をラッピングするらしいのです)。残念ながらザックは見つからなかったようだけれど、何とかチェックイン。出国審査はごく簡単なもので、スタンプもなし。そういえば、入国の時もスタンプはなく、今回はパリに入ったという証拠は全くないことになります・・・予定から大幅に遅れて15時50分くらいからようやくまともに搭乗がはじまりました。大橋さんはダブルブッキングでビジネスクラスになったらしい。5時間から6時間くらいのフライトは言え、羨ましい限りです。搭乗してからは相変わらず人数確認に手間取り、時間がかかる。燃料がもったいないからか、エンジンはまともに動いておらず、エアコンも切っているので暑い・・・17時24分になって、ようやく滑走路へと動き出しました。コナクリ空港では、着陸態勢に入って、地上数十mという所まで機体を下げたが、入る角度が悪かったのか、急に上昇を始め、しばらく旋回をしてから、再び着陸を試みて無事に着陸となったのです。着陸の瞬間、拍手と歓声が起こっていました・・・コナクリ空港は暗いから(夜の着陸だし・・・)難しいのでしょう。機長も大変です・・・空港で入国に手間取り、ようやく審査を終え、空港から出ようとすると空港の職員だろうか、首から名札を提げた男がやって来て、大橋さんに何か言っている。賄賂を要求しているらしい・・・竹元さんが拒否すると、荷物を開けろと言われる。荷物検査をしている女に大橋さんが握らせる。ボクと竹元さんは仕方がないので、荷物を開けるが、女は金が少ないと文句を言っている様子。すったもんだあり、運転手のスワとクルマの弟と無事?合流。いつものロシェ・ホテルに泊まることになりました。

パリでは最後の?骨休めだぁ、と思いながら、思いきり観光気分に浸りました。それでも、一日だけではとてもとても・・・今度はプライベートでパリに行きたいなぁ・・・


2007年8月6日(月)
AM5:13。悪夢から目覚めました。寝直して、6時23分に再び目覚め。シャワーを浴びて歯を磨く。もちろんミネラルウォーターで口をすすぐ。コナクリの水は相変わらず濁っていたからです。7時からは4FのBarで朝食。8時半にホテルを出る予定が、少し過ぎてからクルマ所長が来られました。外は大雨の影響で、ホテルの前の道は川のようになっていました。例によってオーダードミッションをもらいに、環境化学庁(DNRST)に出向きます。対応は相変わらずのタビノ副長官。用事を済ますと9時半に日本大使館に。これも恒例ですが、挨拶に行って、旅程について簡単に説明させて頂きます。始めに対応してくださったのは八嶋領事。しばらくすると忙しそうに、夕食の約束だけを取り付けて出て行かれました。その後は、山内政務担当(感じの良い女性でした)とお話しさせていただきました。彼女は昨年の5月にボッソウへいかれたそうで、ボッソウのことを少なからずご存じのようでした。お二方とも、昨年から今年の年頭にかけてのゼネストのときの苦労話をされていました。パンパン銃声が飛び交う中、ギニア太鼓を習いに来ている人たちを探し出すのが大変で、その上、帰国を説得するのが大変だったと・・・こういう国ですから、いつ何時情勢が悪化するかも分からないので、居場所と連絡先を伝えておかないといけないのです。邦人を保護するというのも大変な仕事だと思います。ご苦労様です。11時40分からはホテル リビエラへいきました。昨年11月にボッソウ30thシンポジウムがこのホテルで開催されたのですが(私は参加しておりませんでしたが)、その時の領収書が総額しかないので、明細を欲しいとのことで、交渉することになったのです。確かに、会計担当の方にしてみれば、総額だけの領収書を受け取っても・・・その後、換金。1USDが4100FG。この国では、いわゆる闇の換金屋がいっぱいいるのです。銀行で換金するとかなりレートが悪くなるらしいのです。限られた研究資金を有効に利用するためには、こういった換金屋を利用するが有効なようです。その後、大橋さんと竹元さんは携帯を購入。昨年の夏あたりから、ボッソウではリベリアの携帯電話が使えるようになったらしく、音信不通という状況ではなくなったようです(正確に言えば、衛星電話があるので、全くの音信不通とはならないのですが、発電機を動かし、電源をつなぎ、アンテナを屋外にセッティングしておかないと衛星電話は使えないので、こちらからの一方通行になっていたのです。もちろん、大使館の方との連絡も取れないという状況だったのですが、その状況が徐々に変わりつつあると行ったところでしょうか・・・)。それから、。ランクルに20リットル給油をする。4300FG/リットル。一通り用事を済ませると日本大使館近くのベトナム料理屋さんハノイへ。食事の後は、スーパーへ買い物に行きました。ボッソウで使う日用品などを買い込んでおくのです。最後に薬局へ行って大橋さん実験用のアルコールを買い(こんな所にあるんだ、という感じだったのですが)、15時にロシェに。昨晩、インターネットをつないでもらおうと思っていたら、コネクターの調子が悪いのでつながらない、と言われていたのですが、私が部屋に戻ってからすぐに修理に取りかかってくれました。工事が終わってから、ネット接続に再びトライしてみたのですが全くつながらない・・・。昨晩には少しはつながったのに余計悪くなっている・・・昨晩も速度が遅すぎて実際は使えなかったのですが・・・仕方がないので、自分で工事してみることにしました。それでも、つながったりつながらなかったりで、「インターネットがつながらないから部屋を変えて欲しい」とフロントに要求。16時半頃に結局、いつもネットをセットアップしてくれているホテルの方がやってきて修理してくれました。さっき修理に来た人はいったい・・・
18時過ぎに八嶋領事が迎えに来てく下さいました。今晩は食事をご一緒させて頂くことになったのです。ホテル・カジノの中華料理屋さんで食事させて頂くことになりました。中国大使館の方のお勧めの料理屋らしいので、楽しみ・・・部屋をリザーヴしてあるらしく、部屋に通されました。たいした服を持って行っていなかった(作業服くらいしか持って行っていなかったのです。何せ荷物の制限が結構厳しいので・・・)ので少し申し訳ない気持ちになりましたが、仕方ないことです。河島医務官も先に来られていました。昨年と比べるとかなり日焼けしていて違う人みたい・・・(去年はたくさんうがい薬などを頂きました。ありがとうございました)。少し遅れて、丸山通信担当も合流。ボッソウでの生活や、ギニア以外のアフリカでの生活、研究の概要や、これまでかかった病気などの話で盛り上がりました。竹元さんも大橋さんも何回もマラリアにかかっているらしいのです。河島さんはそれを聞いて、「いいなぁ。ボクもかかってみたいなぁ」・・・おかしいですよ、その感覚・・・私は絶対嫌です・・・マラリアの治療には「コアティム」という薬が良いと河島医務官に勧められました。帰りには買って帰ろう・・・中国人のお薦めの中華料理屋ということもあり、料理はおいしいかったのです。それにしてもウェイトレスの中国人のフランス語はかなり怪しくて、「ボアソン(飲みのも)のメニューを」といっているのに
ポアソン(魚)のメニューを持ってきたり、何かを尋ねても分からない、という感じでした。フランス語が公用語のギニアに中国語しか話せないような状態でやって来て、生きていこうという中国人の懐の深さを感じました。10時半頃にはお別れして、11時にロシェに戻って休むこととなりました。

朝起きて、ホテルロビーに降りると前の道路が・・・川みたいになっていました。結構ふっていましたからね・・・

2007年8月7日(火)
7時から4Fで朝食。代わり映えなし。その後メールチェックして、荷物をまとめて出発準備をします。8時半にロビーに行くと大橋さんがすでに精算を始めておられました。ボクも精算してもらうのですが、ビールを(しかもSkol)1本しか飲んでいないのに、15$もMini Barを使ったことになっていました。冷蔵庫の扉にはSkol 1.5$と書かれていたのに・・・(他のビールは2USDだったのです)。文句を言うと1本にはなりましたが、単価は5$だというのです。いまは、ビールが20,000FGだから5$だというのですが、表示と違うのはどうかと・・・都合の良いときはドル精算したがるのに、いまはレートが悪いからとギニアフランで計算するとは・・・
しかも、昨年は1泊90$(これも昨年8月中は70$だったのを値上げです)だったのが、1泊100ドルに値上げ。精算もいい加減だし、去年は牛田先生がカードのスキミングをされるし、レストランもあんまりやっていないみたいだし・・・ロシェのクオリティは下がっているみたいでした。何とかかんとかありながらも、9時8分に出発。環境庁(DNRST)に行くが、タビノ氏は不在。クルマ氏がオーダードミッションを受け取って出発。
10時15分頃に町中でオーダードミッションをコピー。200FG/枚。10時54分、空港付近で両替。その後、給油して長旅に備えます。11:55Coyah(コヤー)。13:20Kinidia(キンディア)。道中、コンテナトラックが谷に落ちていたのを発見。荷物を必死で運び上げていたから、落ちて間もないのでしょう。その後もカーブを曲がりきれずに横転したコンテナトラックもありました。人が3人ほど倒れていました。一人は血を流して(吐いて)いてかなりやばい雰囲気。これも、横転したコンテナのタイヤがまだ惰性で動いていたから倒れたてのホヤホヤです。少し先の町で、軍の人間に事故があったことを伝達。ボク達もそういう危険にさらされているわけで、運転手のスワに安全運転するようお願いをしました。雨季は事故が多い。道もスリップしやすいし、視界が悪いはずなのにいつもと同じようにとばすからなのでしょうね・・・15時頃、いつものハゲワシがいる町で、いつもの店で昼食をとりました。例によって汁かけご飯。どうやら慣れてきたみたいです、このご飯に・・・初めは怖くて口にすることができなかったのに、人間の慣れって恐ろしいですね。しかし、「これアグチーが入ってますけど、大丈夫ですか?」と大橋さんに聞かれました。そう、初めてボッソウを訪れたときからボクは大のネズミ(アグチー)嫌い。大橋さんにはその旨伝えていたのです。でも、「え?入ってるの?」という感じでした。調理の仕方次第ではアグチーは食べられるんですね~。でも、進んで食べたいとは思いません・・・
16時、Mamou(マムー)。19時にFaranah(ファラナ)に到着。宿泊はいつものSOLIMAでした。ナイトクラブでビールを買って(4500FG)飲みました。夕食はいつも通り、クルマの家で頂くこととなりました。今年から彼は新居住まいです。新居を訪問するのは、ボクは初めてで興味津々。立派な家でした。羨ましいことです・・・食事の後ホテルSOLIMAに帰って就寝。去年と違って寒いくらいに涼しかったのです。日本の夏とは違う・・・夜涼しいのはうれしいことです。ゆっくり眠れますし・・・zzz

道中みかけたサル(専門外なので種類は分かりません・・・)。ペットなのでしょうか。やたらと人慣れしています。写真を撮って確認中の竹元さんを観察中のサルです。

2007年8月8日(水)
夢見が悪く、目覚めると腕時計はAM2:13。メファキンの影響か?外では若者がバイクに乗ったりしてはしゃいでいる。ここは・・・・・・・・?ファラナ。気付くまで少し時間がかかるくらい寝ぼけていました。うるさいが気にせずに寝なおしました・・・
AM6:21。外では雨が降っています。隣では大橋さんが水浴びしている(多分・・・)音が聞こえてきました。7時頃に本でも読もうと思って、部屋の外に出ると、竹元さんはすでに外に出て本を読んでいました。8時頃にスワが迎えに来てくれて、クルマの家で朝食を頂きました。朝食を終えるとホテルに戻って支払。30,000FG。9:13ホテルを出発。ファラナ大学に立ち寄りました。講堂では多くの学生が勉強しています。そこで我々は日本からやって来た人たちです、紹介されました。300人くらいの学生がいたと思います。講堂はいっぱいでした。注目の的です、もちろん・・・去年11月には杉山先生がここで講演されたそうですが・・・。
9:33に大学を出発。11:29Kissidougou(キシドゥグゥ)。12:43Macenta(マシェンタ)。16:40N'Zérékoré(ンゼレコレ)。ここで色んなものを探します。コナクリで買えなかった生活必需品や、研究用の資材などを購入します。ボクは傘を買いました。12,500FG。17:38にンゼレコレを出発。ガソリンを買うのを忘れていたのを思い出したのですが、後の祭り・・・。19時頃にBossou(ボッソウ)に到着。ついにボッソウに到着です。荷物の整理が終わると、一息。ファラナと比べると水が良いからか、こっちの方が落ち着く気がします。すぐにガイド達がやってきて酒盛りになってしまいました。GINと赤ワインがそれぞれ1本空く。ヨップルも10リットル空く。ボッソウに通い詰めた大橋さんと竹元さんが久し振りにボッソウにやってきたのだから盛り上がらないはずがない、と言ったところだったのでしょうか・・・
22時頃に休むため部屋に入りました。部屋にはわけの分からない虫がいたので必死で追い出そうとしました。しかし、ボクも閉め出されて(一応オートロックなんです)、何とか部屋に入ろうとするのですが、何ともならないから竹元さんを起こしてサロンの鍵を開けてもらい、スペアキーで部屋に入りました。竹元さん、せっかくお休みになっていたところを・・・ご迷惑をおかけ致しました。しかし、不安な船出だなぁ・・・

道中の休憩ポイント。雨季は晴れ渡ると空気が澄んでいるのでとてもきれいな青空が広がります。アフリカのラテライト(だと思います)と青空のコントラストが目を引きませんか・・・

2007年8月9日(木)
AM5:30に目覚めてしまいました。サロンを見ると明かりがついているけれどもう少し眠ることに・・・深い眠りは無理だったので諦めて6時に起床。竹元さんと大橋さんは荷物の整理をして、こちらでの生活と仕事の環境を整えています。朝食がないので大橋さんが入れてくれたコーヒーを朝食代わりに・・・9時頃に研究所を出てボッソウの地方知事のような人に挨拶に行きました。彼は朝食の途中だったけれど丁寧に対応して下さいました。その後、AM9:34チュオ村へ。チュオの警察署に、「外国人が国境付近のこのあたりをウロウロするけれど、登録するからつかまえたりしないでね」という感じで挨拶と登録に行く必要があるのです。毎回、この手続が結構面倒だったんだけれど、今回は挨拶だけで終わってしまいました。あっという間のことで助かりました。パスポートに怪しげな判子を押されることもなかったし・・・どうやら署長が変わったらしいのです。トップによって方針が異なるから困るんですけどね・・・10時頃に研究所に戻ってコンテナで運んだ荷物を実験室へとに運び込みます。その後、コンテナ荷物の中から草刈り機を出して、セットアップ。試運転したいと大橋さん。楽しそうに研究所周辺の草刈り。周辺に草が繁茂すると蚊がたくさん出るらしく、マラリアの危険性が高まるらしいのです。守衛のダウカやガイドのアンリ、ボニファスらがそれを珍しそうに見ていました。昼食にニョンコの娘、ザイケリンがアチャケ(クスクスのこと)を持ってきてくれました。彼女はニョンコにそっくりです(しぐさまでそっくりで驚いた)。紹介されなくても分かるくらいでした。アチェケとは、地域によってはクスクスともいう料理です。日本ではこっちの呼び方の方が馴染みがあるでしょうか・・・。そのアチャケにはには生のキュウリと生のタマネギが添えられていて、結構美味しかったのです。13時半くらいからコリドーの視察に。結構な規模の火が入ったらしく、昨年にみたときには立派に小さな林になりかけていたセリンバラ付近のハルンガナ群落が燃えていました。それをみて大橋さんもボクも落胆・・・その後、コリドーの中心を抜けている道に沿ってランクルを走らせました。あちらこちらに日の跡がみられ、かなりの範囲に火が入ったと思われます。今年の植栽はというと、道のちょうど半ばあたり西側で草刈りをして準備が整っています。一端植栽したところのはずだけれど、もう一度植え直すことにしたのでしょう。その面積の半分近くはピーナツか何か豆の仲間を一緒に育てると言うことらしいけれど、火を入れての地拵え。火を入れたら残っている小さな木まで燃えてしまうのに・・・なかなか上手くいかないはずです。困ったものだ・・・昨年、川に囲まれた場所に植栽した現場はチューブが外されたとかいう話を聞きました。誰かが畑にしようとしていたところらしいのです。といっても火を入れただけで放置されていたらしいのですが・・・それにしても昨年、フォデェイが「オレの畑だ」と行っていたと思うのだけれど・・・一体どうなっているのかさっぱり事情が分からないので困ったものです。そういえば、あのあたりにいるときに(川をじゃぶじゃぶ渡る直前に)IREBの人間ともめているおじさんがいたなぁ・・・夕方になって研究所に戻っていくと、敷地内の苗床では必死で日覆いや柵を作っているところを目にしました。苗はもうすぐサバンナに持って行くんだから今頃やっても意味がないのに・・・部屋の戻って、日本から送ってきた発電機のセットアップします。IREBにも一台寄付すると言うことで、IREBの分もセットアップ。その後、サロンにいると、ダウカがイバを連れてきて、大橋さんに草刈り機をみせて欲しいとリクエスト。夕方5時頃からガイド達が来て給料の交渉か何かをやっています。いつものことだろうけれど大変だと思います。
今、世界的に生物多様性の保全のために、と国際機関(PUND)が動いているらしく、なかなか立派な箱物を作っていました。このあたりでもインターネットができるような環境を作っている事務所か何かがあるらしいのです。それに関連してIREBも予算を獲得できるといううわさがあるらしく、かなりのお金が落ちるんだろうと思われます。クルマはそのお金を受け取ってからファラナの大学に戻りたい、ということを言っているらしいのですが・・・こっちの社会構成って・・・難しいのです。

2007年8月10日(金)
朝6時半に目覚まし時計で起きる。まだサロンは暗いので一服してからもう一度7時まで寝直すことにしました。7時にサロンに入ると、竹元さんがすでに起きていました。髪を洗ったりしてから昨晩の米の残りに「松茸のお吸い物」をかけて、湯をかけて茶漬け風にして朝食に。9時に出る予定なので食後に慌てて準備。パキレがやってきて、竹元さんに靴(今は手に入れることができないので、とりあえず長靴をかすことになったらしい)とリュックが欲しいといっている。彼はしばらく学業で仕事を休んでいたので、早く仕事がしたいという気持ちもあるし、その環境がはやく欲しいのだと思います。そのときに挿し木ができる木について質問。彼は植物の勉強をしていたので、立派な英語の本を持ってきてみせてくれました(本のタイトル:WOODY PLANTS OF WESTERN AFRICA FORESTS A GUIDE TO THE FOREST TREES, SHRUBS, AND LIANES FROM SENEGAL TO GHANA, William Hawthorne, Carel Jongkind KeW)。この本は欲しいなぁ・・・フォデェイが朝飯を食っていないから2000FGくれとボクに話しかけてきました。こいつは去年も金が欲しいとか言ってきたなぁ・・・困ったもんです。簡単にあげちゃうと働く意欲がなくなってしまうかも知れないので、断ります。長靴も傷んでいるから欲しい、とも言われるけれど長靴はない、とこちらも断ることに・・・だって、働いて給料をもらっているはずだし・・・すると、「マルシェで売っているから買ってくれ」と言われてしまう。とりあえず、「考えとく」とだけ言ってごまかすしかないです。下手にものをあげたりお金をあげたりするときりがなくなってしまうし、こいつに言えば何とかなる、とか思われても困るし・・・9時過ぎに研究所を出て、サバンナの畑の周辺に張り巡らされた柵を観に行くことになりました。柵を作るために、こっちでは木を使うのだけれど、その木が根付くことがあるようなのです。そこを調査して、サバンナで挿し木できそうな木を探そう、というのが今日の目的。ゲイブナ(マノン語)、ブナ(マノン語)、ノークレアが芽吹いていました。ノークレアはサバンナでの見る木だし、ゲイブナあたりはかなりの率で芽吹いているという印象を受けました。昼食はガイドのボニファスの家で頂くという話になったので、おじゃますることにしました。マニオク(キャッサバ)をご馳走してくれるというのです。しかし、マニオクがなかったのか何かで、結局バナナを頂いて、村に食べに出ることになっちゃいました。ペーストかけご飯ですが、他の3人はオプションでアグチーの肉をつけています。ボニファスの肉なんかはネズミの脚の形そのもの・・・。でも、形よりも臭いがあると嫌だから、やっぱりボクはだめだ・・・初めてきたときに食べたあの臭いがかなりの印象で・・・その後もサバンナの中にある畑を見て回り、夕方に村のレバノン人が経営しているというBarでSkol(ギニアビール)を飲んでから帰ることにしました。Barといっても冷えたビールはありません。かつては羽振りが良く、冷蔵庫もあったらしいのですが、いったん破産して、アメリカかどこかにいる弟に援助してもらってBarを再開したらしいのですボッソウにいると経営感覚が鈍っていくのでしょうか・・・レバノン人ってけっこうギニアでは成功しているように思うのですが・・・。その後は、水浴びして、洗濯。夕食前に竹元さんがオイルサーディンをアレンジしてつまみにして赤ワインやウィスキーを飲みます。こっちにくるとお酒が唯一の楽しみに近いですから、とりあえず仕事が終わるとまずは飲みます。その間に色んな人が手紙を持ってきたりしてお金が欲しいとやってくるのです。相変わらずです・・・初めてボッソウに来たときには相当この状況の驚いたのですが、慣れてきたようですね・・・夕食を食べて、人が途切れると竹元さんと大橋さんはボッソウのマネージメントについて話しを始めました。コリドーについても、ガイド達の給与にしても、援助にしても・・・マネージすることがたくさんあって大変です。大橋さんもかなりのストレスをかかえてやっているらしく、かなり愚痴が出てきます。研究者なのに研究以外の仕事が多すぎるのだろうと感じます。規模もドンドン大きくなってくるし、「金になる」といううわさが広がったからか、本当に色んな人が来るから、ある程度の地位がある人(お金が動かせる人)じゃないと何かと(研究や緑化事業などなど)動かせないような状態になってきているような気もします。ここのマネージメントを専門に手がける人がいないかなぁ・・・

調査中にみかけたのです。
これは、ヨップル(ヤシ酒)を作っているところ。
ヤシに青いポリタンクがぶら下がっているのがわかりますか?
ヤシの幹に傷を付けて、そこからにじみ出す樹液をポリタンクに貯めていきます。
すると、自然に存在する菌がヤシの樹液をお酒へと変化させるのです。
半日くらいすればヨップルのできあがり。
その日の内に飲みきらないと、次の日には酸っぱくなって飲めたものではありません。
お土産に持って帰ってこられないのが残念です?

上の写真をアップにしたところです。
ポリタンクがありますね・・・
その上に、杭が打ち込まれているのもみえますよね?
そこからポタポタと樹液が落ちてくるわけです。

調査の帰りに寄ったBarです。
棚にはいろんなお酒が並んでいますが、
冷蔵庫がないので、すべて生ぬるい・・・
でも、ここのBarは結構品揃えはいいです。

Barにいると、近所の子ども達が覗きに来ました。
日本人がいるというので珍しがって見に来たのでしょうか・・・

最初は怖がって?声をなかなか掛けてこないですが、
慣れてくると人なつっこく声を掛けてきます。
でも、子どもが多いので名前までは・・・覚えられません。

2007年8月11日(土)
また目覚まし時計よりも早く起きてしまう。それでも今日はわずかに早いだけだったので起きてしまうことにしました。普段は目覚ましがなってもなかなか起きられないくらいぐっすり眠っているのに、どうしてだろう・・・今日は8時から出る予定。早めに動き出さないと・・・昨日と同じく茶漬け風飯を食べる。しばらくするとソープレターが女の人を連れてきました。そういえば、昨日、大橋さんがガトーを頼んでいたなぁ・・・それを持ってきてくれたのです。大きな四角のお盆のようなもので焼いてあります。竹元さんはすでに出てしまっているし、大橋さんはまだ寝ている様子だったので、何とかしようと思うが話がうまくかみ合わないです。もちろんボクのフランス語なんてたかが知れているからです・・・申し訳ないけれど大橋さんを起こすしかありませんでした。朝食にはそのガトーも少しかじって、出かける準備をして8時過ぎに出発。昨日と同じ畑に向かいます。道中、ザイケリンの店からグァヴァを6個大橋さんが持ってきました。それをかじりながら畑まで歩く。柵に使われている杭の樹種の特定と、数量確認です。結構な量が使われているので大変な作業です。1つの畑で一日仕事になりそうな雰囲気が・・・。それにしても、葉っぱはもうついていないから、樹皮、木部の色、樹皮の剥け方、樹皮の臭い、切り口の状態だけでボニファスとアンリが樹種を特定していきます。大変な能力です。13時過ぎまで休憩なしに頑張ってくれました。途中、畑の持ち主とか言うおじさんが「オレの畑で何をやっているんだ!」みたいな感じで何か文句を言ってきた(らしい)。今年作ったばかりの畑は昨日2カ所見たのですが、もう一カ所も同じ家族が持っている畑らしく、調査をあきらめるしかありませんでした。しかたないので昨年作った畑の柵の総延長を測定しに移動。途中、文句を言ってきた畑の持ち主にあって事情を話しにいきました。マノン語で話しているから、大橋さんも詳しいことはわからなかったらしいのですが、何とか理解してもらってから去年の柵を観に行くこととなりました。サバンナの中を草をかき分けて歩いていきます。畑に着くと、大橋さんはGPS で柵の延長を測っている。最近のGPS はかなり感度が高くなっているらしく、木の陰になっていても(森の中でも)ちゃんと動くらしいのです。液晶もカラーだし、画面が大きく、日本語だしわかりやすそうで羨ましいかぎりです・・・でも、十数万円もするらしく、かなり高級品でとっても手が出ません・・・16時頃に研究所に帰りました。大橋さんはかなり疲れていて、きのう昼食を食べた店で水を飲んで休憩してから帰るので先に帰って下さいと・・・。「30歳を過ぎてから体力の低下を感じて、疲れやすくなったんですよね~」と大橋さんは言っていたけれど、サバンナでは仕事以外で体力を削られることが大きいとボクは思います。大橋さんは多分、森に入ってチンパンジーを観察することになったらほぼ今まで通り(完全に今まで通りというわけにはいかないかも知れないけれど)動けるんだろうと思います。研究所に戻って来た大橋さんは、「ボクはちょっと疲れたのでもう休みますけど、もし行かれるんだったら○○(ボクの名前)さんは調査に続きで行かれますか?」と聞かれました。さすがに、ボクも疲れました・・・明日にしましょう・・・
しばらく水を飲んだりして休んでいると竹元さんも帰ってきました。しばらくガイド達も何をする出もなくサロンにいたのですが、三々五々帰っていきました。それからIREB が、「植栽が終わったから金が欲しい」といってきたり(正当な要求だとは思うけれど)、亡くなったグアノ(初代ガイド)の奥さん(といってもかなり若い)が怪我をしたので薬が欲しいとかいって来たりしていました。いつも(ほとんど毎日)思うけれど、色んな人が訪問してきては、何かを要求したり交渉があったり・・・本当に大変だろうと思います・・・それでも、今日は夜になってからは人が来なくて静かで平和でした。

調査中にサバンナの中でも少し小高い丘に登りました。
ここからみえるサバンナは広く、温和しげにみえます。
しかし、実際は暑く、草は硬く攻撃的で、植栽した木々の成長を妨げます。
見た目は爽やかな感じ?なんですけれどね・・・

今回の滞在では最後までお世話になることとなった、ガイドのボニファス。
彼は、ボクのとっても、とっても拙いフランス語を何とか理解しようと努力し、協力してくれたのです。
今後も、彼が頑張って緑の回廊プロジェクトの成功につなげて欲しい、と期待。

彼も、最後まで今回の仕事ではお世話になりました。
ガイドのアンリ。
まだ若いけれど、とっても頑張ってくれたと思います。
今後とも、よろしく・・・

2007年8月12日(日)
6時半、目覚ましで起きました。久し振りに目覚ましが鳴るまで眠っていたような気がします。ガトーをかじって、8時から大橋さん、現地のガイド(チンパンジーの調査などのアシストをしてくれる人たちをボッソウでは「ガイド」と呼ぶ。彼らは日本人などの外国人研究者に鍛えられつつ、彼らに様々な情報を伝える)ボニファス、アンリとコリドーへ行きました。まずはコリドーをぐるりと廻ってみることにしたのです。コリドーの中心を突っ切っている道の半ばに植栽されている苗は、去年のものよりはよく見えるが、植栽したばっかりなのでよく分からない。(慎重に判断しなければ・・・)しばらくの日数様子を見ることにしました。セリンバラ側のコリドー道の入口付近のハルンガナは燃えていて、ほとんどがなくなっている。今回のボッソウ訪問で最初の視察の時にもがっかりしたのですが、改めて、(去年まではあんなに勢いよく育って「ちびっ子森林」になっていたのに・・・)と落ち込むこととなりました。ハルンガナはサバンナ全体でほとんどが燃えていて、火に対して弱い印象を受けました。ただ、ハルンガナ自体が更新するには火、あるいは裸地化が必要であろうとも感じました。コリドー道の入口付近のハルンガナ群の燃えた後は少し大きくなったウワパカが残っていて、勢いをみせているのは救いでした。このあたりでは通常20~30年に一度は自然に火が入るらしいので、もしかすると、ハルンガナ林からその次の段階への植生遷移はこのような「火が入る」「ハルンガナが倒れる」などのきっかけが必要なのかなぁ、と思ったりもしますね・・・。それから、ニオン村側の看板付近まで歩きました。このあたりにはアルビジア(だと思う)がある程度の群をなしていたのですが、ここも火が入って燃えてしまっていたのです。とても残念なことです・・・そこから河畔林沿いに歩いていく。ウワパカの木陰にはとても多くの実生ウワパカが見られることに気付きました。足の踏み場もないくらいです。河畔林から10m幅で川沿いに防火帯として草を刈らせて、地掻きをさせているらしく、実生が発生する条件が整っているようなのです。こういったところを大事にする必要があるなぁ・・・また、この実生の中から成長の良いものを河畔林縁から少しずつ外に出すなどして河畔林を拡大していく方向も試みるとか・・・試してみたいこともたくさんあるし、是非とも試してもらいたいと大橋さんと話しました。河の半ばあたりから急にサバン状態になっている。河畔林がなくなっているのです。人々が普段行き来する道から遠ざかる分だけメンテナンスが行き届いていないからか、あるいは自然条件がそうなっているのか・・・少し行くと、また河畔林が残っていて、稚樹も多く見られる。結局、どれだけ人手をかけることができるか、ということが森林化できるかどうか・・・ということになるのだろうなぁ(丁寧な仕事ができれば、ということだけれど・・・)。ボッソウ側の看板まで戻るとIREBの職員のアレクシーとブナとばったり出会いました。(IREB:ギニア共和国の機関「ボッソウ環境研究」)チューブが燃えたという現場に案内してもらうことになりました。行ってみるとウワパカの成長が最も良かった2005年末にチューブを設置したゲインに近い現場だったのです。一番期待していた現場なのに・・・チューブは全て無惨に溶けている・・・木々も全滅しているだろうなぁ・・・と落胆していると「根元から新しく芽生えている」というのです。見ると確かに根元から萌芽して元気に葉を広げているじゃないですか。彼ら(彼女ら)の生命力に感服しました。少なくとも木々がこうして残っていることがとても心強く思いました。今回はチューブによってどこまで成長促進できるかどうか確認できなかったけれど、力強く根付いていくことに役立ってくれたのならば少しは役に立てたのかなぁ・・・と希望的に考えるしかないですね・・・研究所に戻ると昼食を食べて、休憩を取りました。昼食後すぐに再び調査に。15時頃また戻ってきて水浴び。夜はブナの結婚記念日(2周年)のパーティーへ行くことになりました。ご飯と酒(ヨップルとリベリアの酒「ケインジュース」)とダンスと時折の挨拶「バリカ、バリカ」。アフリカを感じる瞬間でした・・・

野火で燃えたチューブ。
しかし、その中のウアパカは力強く、萌芽し、
この地に生きようとしていました。
この日、最初にこの現場をみたときには、
膝から崩れ落ちそうになるくらいのショックだったのですが、
この力強さをみて勇気づけられました。
木々の生命力ってすごい・・・

2007年8月13日(月)
今日も目覚ましが鳴るAM6:30まで寝ていました。7時頃にサロンに入りましたが、今日は休んで資料整理を行うことにしました。11時頃ひどく雨が降りだしました。この時期、ここは雨季にあたるのです。竹元さんもさすがに戻ってこられました。昼食は村に出ました。ペーストをのせたご飯(1,500FG)にオプションで牛肉(2,000FG)をつけました。牛肉と言ってもほんのひとかけらです。日本の感覚で言えば、卵だけのせた丼に、鶏肉をひとかけらオプションで丼本体よりも高いお金を払ってのせるようなものです。ここでは肉、特に牛肉・豚肉・鶏肉などの家畜の肉、は高級品なのです。13時頃ガイドのアンリがやってきて、パラゴムノキをもらった、と大橋さんと話していました。1,000 本くらいもらったと言うから結構なものです・・・それを植えるための道具を貸して欲しいという交渉にきたようです。でも、道具を私用に貸し出したりするときりがなくなるし、紛失の原因にもなるので諦めてもらったらしいのです。仕方ないですね・・・14時頃にはセリンバラ村のガイドのカシエがやって来ました。今年は彼とは会わないと思ったからお土産の写真を持ってこなかったのですが、後悔・・・次の訪問時には持ってこよう・・・って次はあるのでしょうか?
夕方にはガイドのジルがやって来て彼の家庭の事情で大橋さんに相談していました。嫁さんがリベリアに行って男を作り、ジルはこっちで子供を作ったとかいうことらしいのですが・・・話がこじれるだけじゃないか、とはたから聞いていて呆れてしまいました・・・ブナも夕方にやってきて、防火帯など、コリドーの仕事について大橋さんともめていました(仕事の内容、結果、支払などなど)。本当に大変な仕事だなぁ・・・夜は大橋さんもボクもいささか飲み過ぎてしまいました・・・完全にストレスでやけ酒ですねね・・・

2007年8月14日(火)
朝5時頃から激しい雷雨。7時にサロンに行くと竹元さんが「ガイドが誰も来ないんだよね・・・」と言って本を読んでガイドを待っていました。7時半頃、ガイドとイギリス人ツーリストがやってきました。ツーリストには夜に来て欲しいと伝えて、8時頃に竹元さんはようやく調査に出かけていきました。ボクと大橋さんは9時頃にコリドーへと。今年の植栽分は全部植え終わったといっていたが、念のために確認に行くのです。コリドー道の半ばに、大規模に植栽されている所は、苗の状態は良くなく、すでに萎れたり、葉が焼けたりしているのが確認されました。植栽直後にはあんなに状態がよく見えたのに・・・やっぱり苗の保管状態や作り方が良くないのでしょうか・・・マーキングだけで植栽されていないとことも結構あるのです。さすがに道路沿いのわかりやすいところには全て植栽されているけれど、道路から離れたところには植えられていない、というケースが目立つのです。日本人の几帳面さをバカにしていたな・・・確認すると言ったら全部みますよぉ。大橋さんがブナに「全部植わってないじゃないか!」とクレーム。別の現場も確認に行く。セリンバラ村付近の川近くに植えられている所には、大きなウワパカが植えられていて、すでに芽が押しているじゃないですか・・・。「こんな苗があるんじゃないか・・・」と思っていると、大橋さんも「ここの苗はいいよ」とブナに伝えると、ブナは「まだたくさんあるよ」
と言っているようです。それならなぜ、そういった苗を向こうでも使っていないのか・・・今年の植栽の検査を終えると、去年の現場を確認に。燦々たる状態になっていました・・・枯れている、なくなっている・・・かなりの確率です。ブナは、「ここは岩が多いから成績が悪いんだよ」と言っているらしいけれど、それならば大きなウワパカを今年植えているところもすぐ隣じゃないか!と言いたくなる。ま、今年のこの苗が育たなかったら場所が悪かったということなのだろうけれど・・・さらに他の懸念の現場も見ることにしました。確認すると・・・・・・・悪い・・・とにかく成績が悪い。膝から崩れ落ちそうになります・・・わざわざこんな遠いところまで来ているのに・・・と自分自身が情けなくなります。苗の状態について、もっと強く「もっと良い苗でないといけない!」と主張すべきだったのです、きっと・・・少しでも森林を広げることができればと思っていたのに・・・申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。落ち込んでいるボクと大橋さんの姿を見てブナは「大きなウワパカがたくさんあるから植え替えるよ」と慰めようとしてくれるのですが、「あるなら初めからそうしてくれたらいいのに・・・」とさらに萎える結果となったのは彼は気付かなかったんだろうなぁ・・・。元気なく、二人して研究所へと戻ったのでした。昼に、現場を分散させると管理ができなくなるかも知れないので、河畔林に集中した方がいいのではないか、などなど大橋さんと竹元さんに相談。
夕方5時半頃からプチジャルダン付近にゲイブナの挿し木をしに行くことにしました。とりあえず20本。苗木があの状態ならせめて挿し木ででも木を増やしたい・・・
プチジャルダンとは・・・
ギニア共和国ボッソウ村周辺で「緑の回廊プロジェクト」がはじまった拠点で、今は小さな森林になっている場所らしいのです。ここが、今のところモデル地区と言うことになるのでしょうか・・・
河畔林沿いも、ブナに依頼していた草刈りが終わった場所から挿し木を行っていくことにしました。
研究所に戻ると、イギリス人ツーリストのチャーリーが来て、夕食をともにすることとなりました。10時頃まで一緒に飲んで、話をしていました。彼は東アフリカ、南アフリカにも行っていて、今回は西側を廻ることにしたらしいのです。まだ20歳になったばかり(昨日なったと言っていた)で若く、将来はアフリカで何かの仕事をしたいと言っていたのが印象的でした。観光客と一緒に食事をしたのは初めてだったけれど、竹元さんも大橋さんも初めてだと言っていました。ガリガリ調査をやっているときは観光客は調査の邪魔だし、時間を割かれることに対していらだちを感じるときもないとは言えないけれど、今回は少し余裕もあるので特別です、と。彼が帰った後、コリドーについて竹元さんと話す機会を得ました。「政治的、マネージメントの問題はこちら側の問題なので、そこは全く気にせずに純粋に技術的問題について提案をしてくれたらいい」と言われました。確かにその通りだ・・・あまりにもこちらの様々な問題を目の当たりにして、そっちを気にしすぎた傾向があるかも知れません。自分の役割を忘れかけていた・・・常に、自分はどういった立場でここにいるのか・・・忘れないように注意したいです・・・

2007年8月15日(水)
今日はマルシェで仕事は休みなので、もう少しゆっくりと夢の続きでも・・・と思ったのだけれど、夢の続きなんてそう簡単に見られるもんじゃないのであきらめてサロンへ。せっかく良い夢だったのに・・・9時前からガイド達は給料を受け取りに来ました。前借りも当たり前のようにするのです。ラジオからは終戦記念日についてのニュースが流れています。ここでも日本語放送が8時から10時頃まで入るのです。非常に弱い電波だけれど・・・10:20ピエールの運転でランクルを走らせ、ンゼレコレへ。カシエとアンリも一緒。イギリス人ツーリストのチャーリーも一緒。カシエはタチアナからもらったお金で仕事用の資材を購入するらしいのです。アンリは写真の現像に。銀塩カメラ(フィルムを使うカメラ)を研究者にもらったらしいのです。彼らにとってはかなりの贅沢品です。しかし大橋さんが日本からの送金を受け取るのが第一の目的です。研究や事業にはお金がかかりますから・・・しかし、ンゼレコレまで行くと祝日か何かで銀行は休みだったのです。アンリかカシエ、前もって教えてよ・・・ギニア人でしょ?しかたがないので、まずは昼食を取ることにしました。GOLO というホテルで食事することにしました。チャーリーはここに泊まることにしたらしいです。彼はここに宿泊してさらに旅を続けていくようです。アフリカを一人旅・・・ちょっと真似できないなぁ・・・あ、でも竹元さんも若いときにしたって言ってたな・・・すごい人たちです。さて、昼食は鶏の焼いたものとフライドポテト(フリット)とSkol。休日くらいはちょっと贅沢を・・・久し振りに冷えたビールを飲んで幸せな気分に浸ります。その後、ンゼレコレの町中に戻ってチャーリーとはここでお別れです。我々もここで換金と必要なものを買いそろえます。ブナ用の自転車(コリドーの見回りのための自転車)と、ガスのキャップなどなど(タンクは買ったものの火が付けられない状態だったんですよね・・・)。
ここで、ギニアの物価情報を・・・
卵が10個で6,000FG。大体1.5USD くらいだから180~200円くらいで、日本と変わらないのです。こちらの収入を考えると恐ろしく高いです。日本人の感覚だと卵1パック5,000 円から6,000 円くらいと思って良いかもしれないですね・・・Ronson(タバコ)1箱1,500FG。

買うものを買ったらローラまでもどります。そこでワインを買う。夕方おそくにボッソウに到着。ボッソウのマルシェはさすがにほとんど終わっていたのが残念でした。そして、村長からの招待を忘れていたことに気付いたけれど、後の祭りだったのです・・・あ~あ・・・やっちゃった・・・

2007年8月16日(木)
7時からコリドーへ。ニオン側のコリドー看板周辺を整理してゲイブナを挿し木することになりました。近くに以前植栽されたものの草に埋もれているウワパカ周辺も草刈りしてもらうことにしました。単純作業で昼まで・・・昼前には研究所に戻りました。昼食はスープパスタを竹元さんが作ってくれました。塩と胡椒とマギーが基本となった味付けだけれど、旨かったんです、これが。こういう料理を作れないものか?こっちの人は・・・でも、材料が高級品なんだろうなぁ、こっちの人にとっては・・・。
14時からボニファスとふたりで再びコリドーへ。自動車がないので、歩いて行くことになりました。フランス語の単語を少し教えてもらいつつ歩きます。ギニアで研究しているキムも伊藤さんも来たときにはフランス語は全く話せなかったとボニファス。驚きです。伊藤さんは会ったことはないけれど、キムなんかペラペラだったという印象しかないけれど・・・自分も話せるようになるのか?と淡い期待をするけれど、モチベーションがなぁ・・・覚えてもフランス語なんていつ使うことになるのか分からないし・・・。コリドーにつくと午前中の作業の続き。ボランティアの人たちが草を刈って作ったという畑の前まで挿し木の作業が終わり、今日の作業はここまでということにする。作業時間よりも移動時間が長かったなぁ・・・夕食にはンゼレコレで大橋さんが買ってきてくれたトマト、レタス、牛肉、ニンニクを食べました。生で野菜を食べられるというのはこっちではあんまりないことだから、かなりうれしいものです。トマトもレタスも生。(危険な行為ではありますが。。。)。牛肉はフライパンで焼いて、ニンニクとタマネギで作ったタレをつけて食べる。夕食の前後(あるいは途中)に、ブナが2回も尋ねてきたり、その他諸々おとずれてくる。落ち着いて夕食も食べられない・・・また、高級品(肉など)を食べているときに来るから、余計に困るんですよね。ここにいると(人ごとながら)ほんとうに大変だと毎日思います。

2007年8月17日(金)
今朝もAM6:00に目覚まし時計にたたき起こされました。7時から出る予定なので、早めに準備して朝食を食べないといけないのだけれど、6時半頃までウダウダしていまったのです。それから着替えてあわててサロンへ。火曜日か水曜日に買ったガトーをかじるけれど、さすがにパサパサになっていました。日本だったらこんな状態になっていたら絶対に食べないと思うけれど、それしかないから・・・大橋さんが入れてくれたコーヒーも頂いてほっこり・・・竹元さんは、「アンリがこないなぁ・・・」と言って困っています。「ボニファスを連れて行こうかな・・・」とつぶやくように言っていたがすこし遅れてアンリがやって来ました。大橋さんとボクはボニファスを連れて7時半にランクルに乗ってコリドーへ。植栽地の点検に大橋さんは向かいました。ボクとボニファスは一足先に昨日の続き(挿し木作業)に取りかかることにしました。ニオン村近くにある看板から、川に沿って奥に入って挿し木作業を続けます。10時前に穂木がなくなったので看板の所まで穂木を取りにもどると大橋さんのメモが・・・。「すぐに戻ります。大橋 10:00」時計を見ると10:04・・・う~ん、タイミングが悪かったか・・・15分くらい休憩していたが大橋さんが戻る様子がないので、メモを残して続けて作業することにしました。防火帯は、本来は河畔林の端から10m幅で草刈りをしているはずなのだけれど、ずいぶんとその基準はあやふやで、いい加減なものであることに気付きます。河畔林幅が大きいところは、草がほとんど刈られていない(どうやら川から10m測っているらしい・・・)し、川と防火帯の間にサバンナが入っているような所もある(この場合はどこからが基準となって10m幅なのだろうか・・・)。こっちの人には仕事の意味が分からないのだろうか?と疑いたくなる瞬間です。そもそも、ちゃんと10m幅で切っているのかどうか怪しい感じすらするのです。昼前に再び穂木がなくなったので戻ると大橋さんが汗だくになって座っていた。
河畔林を少し奥まで入ってボニファスを呼んだらしいのだけれど、ボニファスもボクも気付かず、大橋さんはあきらめて看板のところまで戻って、草刈りをしていたらしいのです。スイマセン・・・少しだけ休憩をして、研究所へと戻ることにしました。12時半過ぎに昼食。こっちに来て初めて日本から送ってもらったラーメンを食べました。送ってもらった荷物を確認すると食べきれないくらいたくさん送ってもらっていたので、これからは気にせずにガンガン食べることにしようと思います。60食も送ってくれたんですよね。一体何日ボクをこっちに拘束するつもりなんだろう・・・昼食後、部屋に入ってベッドで横になって「海辺のカフカ」を読んでいたらうたた寝してしまいました。14時半過ぎに起きて、15時から再び仕事。大橋さんは昼からは他の仕事をされるというので、ボクとボニファスだけで行くつもりだったのだけれど、結局大橋さんもいっしょに出かけました。プチジャルダン付近にいささか大きすぎる穂木(杭)を植えることにしました(誰が取ってきたものなのか分からないけれど、枝を取ってきて、といったのにちょっとした幹くらいの太さがあったんですよね・・・)。17時過ぎまで作業して、午後からボランティア参加だったブナが飲みたいというのでセリンバラへ向かいました。しかし、ヨップルがないということであきらめて研究所に。大橋さんはブナにはヨップル代として小遣いを渡していました。ブナはうれしそうに村へと消えていきました。大橋さんとアボガドを食べて一息ついたら水浴び。それから少し明るい間に「海辺のカフカ」の続きを読みました。普段は本を読むような時間はありまないけれど、こっちにいるとお酒を飲むか本を読むかどちらかが娯楽になりますし・・・19時過ぎ、暗くなって本が読みづらくなってきたころに竹元さんが戻ってこられました。日が沈むと涼しくなるので、長ズボンに着替えます。日本と違って昼は暑くても夜は寒いくらいになるんですよね、ボッソウは・・・夕食に出てきた米はインドかどこかの古米か古々米かはたまた古古々米か・・・黄色というか茶色く変色した米だったのです。少し臭いが気になります。でも、この米は大橋さんがガイド達に「米がないからコメが欲しい」と言われて配った米らしく、「こんなもの食えない!」と我々が言うには言えず、それを食べることに・・・(竹元さんは食べられなかったみたいです・・・)いつまでこれが続くのか不安をかかえつつ食事をしました。ここの何が辛いって、食事が一番辛いですね・・・

夕方からプチジャルダン付近で行った、挿し木の様子。
ちょっとこの穂木はコミュニケーション不足で大きすぎたのですが・・・
ちょっと実験的に行おうということで、急遽計画したのが挿し木。
この手法は上手くいくのでしょうか・・・

2007年8月18日(土)
今朝も6時に目覚ましに起こされました。10分ばかり「ぼけっ~」としてから着替えてサロンへ。今朝買ったばかりのガトーを朝食代わりにかじる・・・が、臭い・・・古い米の糠か土の臭いがする・・・。とてもじゃないけれど、食べられない・・・本当に臭い・・・昨日から臭い食べ物が続いているなぁ・・・さすがに朝からこれは辛いです。胃が食べ物を受け付けません・・・7時頃、ほとんど何も食べずに仕事に出かけることになってしまったのです。ボニファスと作業員を2人連れてプチジャルダン付近で草刈りして挿し木をするのが今日の仕事。それにしても暑い・・・汗が噴き出してきます。ボクもへばり気味だけれど大橋さんも相当へばっているのが分かります。ボク達が作業している近くで、傷んだ苗を大きめのウワパカに植え替えると言ってブナが河畔林や「パキレの森」の林床から苗を引き抜いては植栽地へと運んでいます。(パキレの森:ボッソウのガイドの一人であるパキレがかつて植栽・管理を来なってできた小さな森)ボクはブナの作業に若干の不安をかかえつつ(暗い場所から急激に明るくて暑い場所に移植する、根は切れているなどの悪条件がある)自分の作業を続けていきました。12時半頃研究所へいったん帰ります。昼休みです。昼にはラーメンを2食分食べました。さすがに食べないと体が持たないです・・・。昼食後、気持ちよくなってサロンでうたた寝をしてしまいました。14:32にふいに目覚める。そのころ、大橋さんはいびきを掻いてまだ寝ています。慣れない作業できっと疲れが出ているんだと思います。15時からは場所を変えてニオン側の看板付近で挿し木の作業をすることにしました。雨が降るけれど作業を続ける。17時前まで作業を続けて、帰ってすぐに水浴び。あまり遅くなると寒くて水浴びなんかできなくなってしまうから・・・大橋さんは帰ってからもブナとなんやかんやと話をしています。また、不毛な交渉・・・
夕食時に目を悪くして医者にかかっているという老人が援助を求めてやってきました。助けてあげたいのは山々だけれど、そんなことをしていては村中の人間を助けなければいけなくなってしまうので、「お金の援助はできない」と言うしかないのです。その代わりと言っては何だけれど、竹元さんが目薬をあげました。彼はそれで気分良く帰っていったのです。なにかとごねる若者とは大違いです・・・直後にアレクシーとフォデェイが仕事をくれと大橋さんに言いに来ました。どうやらブナからの仕事が回ってこなかったらしいのです。去年まで彼らにはグリーンコリドーの関係の仕事が回っていたのに、今年はちょっと事情が違うらしいのです。責任者が変わると仕事の分配まで変わってしまうのがギニアなのでしょう。このあたりは、日本とあまり変わらないかなぁ・・・もしかして。その後は、静かなもので訪問者は来なかった。21:45には部屋に入って休むことになりました。休めるときには休まないと・・・

この日も引き続き挿し木作業です。
プチジャルダン付近のイネ科の草を切り開き、
そこにどんどん挿し木を行います。
挿し木自体はけっこう効率よく進められるのですが、
草を刈るのが大変・・・

この日、研究所からみえたボッソウ村の夕焼け。
特に雨季の夕焼けは空が澄んでいるので、
きれいにみえます。
なかなか日本にいるときにはじっくりと夕焼けをみることはないものですよね・・・

2007年8月19日(日)
起きると右胸腔下側あたり(肝臓か肺の下あたり)が痛む・・・肋間神経痛かなぁ・・・「今日は休もうかなぁ・・・」と思うけれど、大橋さんは足を腫らしているので今日は休むらしいのです。IREB所長のクルマも視察に来るというし、仕方がないから7時過ぎにコリドーへと向かいました。車の振動で左脇腹が痛む・・・きつい・・・・・・・・現場に着くとプチジャルダン付近で挿し木作業の続きをすることにしました。体が辛いので、どうしても見ていることが多くなりがちです。クルマ所長は、「サバンナを切ることがすごい大切なんだ!!」と必死でつたない英語とピエールの怪しい通訳でうったえてきます。「年に3回は切らないといけない。切っていないとあんな風にサバンナになってしまう」とあっちにこっちに引っ張り回して説明してくれるのです。ボクがフランス語がよく分からないということもあるから、みせて説明しようとするんだろうけれど、そんなことは重々承知しているし、ちょっとしんどいから動きたくないのに・・・「サバンナでやりたいことがたくさんあるけれどお金がない」とか「ボッソウの人間は働くのが嫌いだ。働けと言えば、すぐに金が欲しいという」とか「見ていないと仕事をしない」とか愚痴を聞かされるはめになりました。たしかにその通りだけれど、クルマ所長には十分金が行っているはずだし・・・彼はここではやり手だろうけれど、少しは現場に出て監督するとかした方がいいと思う。「毎週土曜日と日曜日には一緒にコリドーに出るから」と言うけれど、どうなることやら・・・その他、携帯用のスコップ&ツルハシを手にとって
「これは何?」と聞かれるから使い方を説明すると、「こういうものがIREB にも必要なんだ。欲しい」・・・ってボッソウの人間がすぐに「金くれ」というのと変わらないじゃないか・・・全く。。。
11時頃、ボニファスが、終わった、というので研究所へ戻ることにしました。「午後からの仕事は無理・・・」とボニファスに伝えて、昼食も食べずにチャイを飲んで休む(考えれば朝食も食べていない)ことにしました。
17時頃サロンに入ると竹元さんが帰っていました。竹元さんも「胃か横隔膜のあたりが痛むし、頭が痛いし、熱もある」と言っている・・・考えてみればボクも頭は痛くはないけれど頭もすっきりしないなぁ・・・もしかして・・・熱を測ってみると37.8℃。ありゃ、熱があるじゃないですか・・・同じ病気か?いったい何なんだろう。不安・・・20時前、熱は38.5℃まで上がっていました。おとなしく寝るしかないのか?とりあえず、ぐっすり眠ることにしました。

2007年8月20日(月)
体がだるく、7時過ぎまで起きられない。大橋さんは左足を腫らしながらも午前中は作業の監視程度なら、と出かけていきました。
ボクにはマラリアの可能性もあるからと薬の用意までしてくれていました。また、他の病気の可能性も考えて抗生剤も準備してくれています。しかし、まだ余裕があるので少し様子を見ることとして寝ることにしました。
夕方少し気分が良くなったので、サロンに。チャイを飲む。サロンにいると17時半前、ノックの音がするのでドアを開けると日本人ツーリストがドアの外に黙って立っていました。サロンに招き入れて少し話をすることになりました。少し変わった感じがする人だなぁ、と思っていたかれど、自転車でリベリアから来たというのです。そりゃすごい・・・チンパンジーを見たいらしいのです。しかし、質問したことにたどたどしく答える、という感じで、やっぱり変わった人物であるという印象はかわらない。ただ、かなり無口なだけのでしょうか・・・3年間日本に帰っていないと言うが、ここままだと日本に帰っても、やっていけないんじゃないかと他人事ながら心配してしまう。「明日AM6:30に来ればチンパンジーが観られるように案内してくれるから」と伝え、彼にはホテルで宿泊してもらうことになりました。ボッソウにもホテルがあったんですね・・・知らなかったです・・・夜にはビールを飲みました。贅沢をした気分になれます。25時頃まで竹元さんと大橋さんは「霊長類学」とは一体何か・・・と熱く議論していました。学問の分類とか、考え方って言うのも難しいもんだなぁ、と話を伺っていました。夜更かしができると言うことは、ちょっとは体調が戻ってきたかな?

2007年8月21日(火)
朝、目覚めると昨日よりは随分気分がよくなっていました。そこで、7時半頃からコリドーへと出かけることにしました。コリドー道の半ばにあるウワパカ群落(小さいけれど)の周辺に挿し木をすることに・・・しかし、途中からひどく背中に痛みを感じるようになってきたのです。肺も痛むような気がするし・・・作業は休み休みになる・・・途中、運転手のピエールがランクルの前で写真を撮って欲しいという。最後には作業員全員で現場で集合写真を撮った。こっちの人は本当に写真を撮られるのが好きなんです・・・こっちはしんどいのに・・・いずれの写真も「岳が持ってきた写真と同じような大きさにしてくれ」とリクエストされる。A4サイズかぁ・・・(インクが結構いるんだよね・・・)13時少し前に研究所に戻ってきました。竹元さんが昼食にラーメン(大橋さんがコナクリで買った)を作ってくれました。昼食後、肺炎か結核を疑って、抗生剤を飲むことにしました。熱は37.4℃。こっちでは結核菌がウヨウヨしているから・・・少し休んでから、15時頃、コリドーの全景をみたいと言うことで、セリンバラ村へ行くことになりました。セリンバラの入口直前でヨロ(ボッソウのチンパンジーの群れのボス)を見かける。こっちに来ていたのかぁ・・・(コリドーを通ってきたのかなぁ・・・)しばらくその姿を見送ってから村へと入っていきます。しかし、雨が降ってきて視界が悪いので、カシエの家で雨宿り。そのうちに人が集まてきて、ヨップルでも出さないといけないような雰囲気になるので、用意してもらうことになりました。カシエ(ニンバ山のガイド)と大橋さんは仕事のことで少しもめているようす。日本人が来たのに自分の所に仕事が回ってこないのが不満があるようなのです。そんなこと言っても、今回はセリンバラの方面での調査はないから仕方ないじゃなか、と思うけれど、理屈がなかなか通用しないのが辛いところです。少し飲んだところで雨が上がった。出かけようとするとパキレ(今日、コリドーを見渡せるところに案内してくれる予定だった)とカシエがもめています。仕事の取り合いとカシエの「拗ね」が原因らしい・・・結局、カシエの案内となる。しかし、まだ拗ねているのかもったいぶっているのかダラダラと準備しています。全く・・・子供と同じじゃないか・・・ボクはといえば出発してまもなく、息が苦しくなってくる。深く息が吸えないから、浅く浅く息をするのだけれど運動量に呼吸量が追いつかない・・・目的地に着いた頃には汗だくになっていました。しかし、乾季と違ってコリドーがきれいに見えます。空気が澄んでいるからきれいに見えるんですね。竹元さんに記念に写真を撮ってもらいました。帰りにパスカルか誰かの子供を2人乗せてボッソウまで移動。竹元さんを挿し木の現場にも案内して、18時頃、研究所に戻ってきました。竹元さんと大橋さんはアンリに酒をご馳走してもらうということで出かけていきましたが、、ボクは体調を考えてやめておくことに・・・一人サロンにいるとブナが訪問して来るが、「二人は今さっきアンリと出かけた」というと20時にまた来る、といって帰っていきました。しばらく一人でサロンにいたけれどどうしても辛いので熱を測ると、38.0℃。ダメだ・・・部屋で休むことに・・・19時過ぎ、ノックの音に気付く。扉を開けると日本人ツーリストがひとり立っていました。黙って立っているのです。そういえば、朝みかけなかったけれど、チンパンジーの見学には来なかったんだ、と思い出す。「チンパンジーですか?」と聞くと、「はい・・・」の一言。ボクでは分からないから30分後に来てくれと言って部屋に入って休みます。しばらくするとまたノック。今度はザイケリン。夕食を届けに来てくれたのです。サロンの鍵を開けて、夕食を置いてもらうと、また部屋に入る。19時半頃、竹元さんと大橋さんが戻ってくられる。程なくしてツーリストが来る。竹元さんが対応するけれど、いまいち話が弾まないし、かみ合わない・・・ちょっと変わった感じです。しばらくボッソウにいる、ということ自体変わっているし、「明日かはしばらく
山には入りたい」と言ったときには驚いた。そういうツーリストは見たことがない。チンパンジーを「観察」したいのか?竹元さんが「動物に興味があるんですか?」と聞くと「別に・・・」の一言。・・・よく分からん・・・。彼が帰ってからしばらくして、21時、熱も下がらないし、48時間周期で熱が上がっているような気がする(上がりきってはいないが、メフロキンの予防で症状が軽くなっている可能性もある)
ので三日熱マラリアの可能性を疑ってメフロキン2錠(日本で買ったマラリア治療・予防薬)アルティスネイト2錠(大橋さんがコナクリで買ったマラリア治療薬)抗生剤2錠(肺炎などの他の病気を疑って)を飲んで部屋に入ることにしました。しばらくベッドに横たわっていると体の隅々に薬が広がっていくのを感じる。急激に眠気を感じで落ちていきました・・・マラリアかなぁ・・・怖いなぁ・・・

この日、挿し木作業に携わってくれた人たち。
こっちの人は写真に写るのが好きなので、
カメラを持っていると、
「撮ってくれ」
といわれることは多いです。

セリンバラ村から徒歩でしばし上がった小高いところから「緑の回廊プロジェクト」の計画地あたりを眺める。
写真の左側の小高い山は「バン山」。
そう、あのボッソウのシンボル的な存在の山です。
そして右にみえる山は「ゲイン山」
この山々を行き来しているのがボッソウ周辺に棲むチンパンジーたちです。

ゲイン山をアップに・・・
左下の麓に茶色くみえるところが、
今年植えるべくして準備された10Ha。

ゲイン山からこちらのニンバ山側に伸びる「くの字」の森林。
これは河畔林と思われますが・・・
結構、立派な河畔林なのではないか・・・と期待。
後日、この河畔林を調査するのですが・・・

この河畔林を広げる方向で進めていけないだろうか・・・
などといろいろ考えながら眺めていたのでした。

2007年8月22日(水)
夜中に何度かトイレに起きるけれどが、悪夢を見ることもなく6時頃までぐっすり。かなりメフロキンの血中濃度は高いと思うけれど仕方がないので目覚めてすぐに追加でさらにメフロキンを2錠飲むことにしました。(肝臓が悪くなりそうです・・・)薬を飲んだら7時過ぎまで寝直すことにしました。7時頃、サロンに入り大橋さんが入れてくれたコーヒーを頂いて少し落ち着きました。体はずいぶんと楽になったような気がします。体温は37.0℃。微熱は残ってるのかぁ・・・9時頃、ブナがやってきて草刈りの費用の支払いを大橋さんに要求しています。しかし、頼んだ仕事と比べると面積が足りない。支払えるはずがない・・・そもそも「10haのサバンナの草を切る」大橋さんの計画ではコリドー道の北東側面を50m幅で2000mの延長。50m幅で200m長さの区画を10区画という話だったのです。これできっちり10ha。しかし、ブナは50m幅で150mを10区画に分けて草を刈ったのだと主張。「1haは周囲400mなんだから、幅が50mになったら長さは150mになるだろう?」と言うのが彼の主張。学校教育を受けていないから算数ができないのは仕方ないけれど・・・大橋さんは面積について説明することにしたようです。紙に図を書いて、「面積とは・・・」という説明からはじまる・・・納得したのかしなかったのか・・・一応は納得した様子をみせてブナは帰っていきました。その後大橋さんは10時頃からローラに出かけました。竹元さんは久々のボッソウのマルシェを楽しんでいるようです。ボクは、今日はまだおとなしくしていることにしました。10時過ぎにダウカに洗濯を頼む。着替えてマルシェに行こうとしていた所だと思うけれど・・・悪いことをしたなぁ・・・15時前からまたウトウトしていたのですが、16時過ぎに久し振りに水浴びすることにしました。まだ足下はフラフラするが(熱のせいか、たっぷり汗をかいて体力を消耗したからか、メフロキンの副作用かはわからないけれど)気分はすっきり。夕方、ボクの左の手袋がなくなっていることにダウカが気付いた。(昼過ぎにボクは気付たのだけれど、失ったのか盗られたのか分からないし、探す元気もまだなかったから放っておいたのです)。ダウカは探したり、人に聞いたりしているが分からない・・・竹元さんは酔っぱらいみたいな男がウロウロしたりしていたから盗られたかもね、と言っていました。ここでものが盗まれたのは、ボクは、初めてだったのですが、まだ使う予定もあったし、丈夫なものを持ってきたつもりだったので予備がなく、すこしショックでした。19時頃、竹元さんは夕食も食べずに「私も風邪をひいたかも・・・」と部屋に入っていきました。(人のことを心配できるような立場じゃないけれど、大丈夫かなぁ・・・)。夕食はキャベツとタマネギ、そしてイワシ(かな?)を入れたペースト。米が白米に昨日から変わっていることもあって、徐々に食欲が戻ってきたようです。久し振りにしっかりと食べたような気がします・・・そして今日は早めに、21時頃に就寝しました。

2007年8月23日(木)
AM6:00目覚ましが鳴るが30分間じっとしていました。熱を測ると36.1℃。久々の平熱です。大橋さんは出かける準備が整っています。ボクは出るかどうするか迷うけれど、足下がどうしてもふらつくので午前中は様子を見ることにしました。無理をしてまたぶり返したら嫌だからね・・・竹元さんも風邪なのか、疲れているのか午前中はウトウト。11時頃、大橋さんが戻ってきました。ブナに依頼した草刈りがちゃんと頼んだ通りになっていないと落ち込んでいました。どうしてそうなったのか、と現場の人間に問いただすと、「金が足りない」というらしいのです。大橋さんは「ちゃんと根まで切るために20万FG払った」というと、「15万FGしかもらっていない」といっていたらしい。誰かが毟った(むしった)のだ・・・日本でも世界中どこでももしかしたら一緒かも知れないけれど、中間に誰かが入ると誰かが中間搾取するということになるらしいのです。コリドー計画を進める難しさを感じます。アフリカでは、衣料や食料の援助にしても、政府などに丸投げして「困っている人たちに配ってあげてください」といっても本当に困っている人たちの手元には援助物資が届かない、ということは良くあるそうです。途中が誰かがくすねてしまって、それを売って金に換えるらしいのです。
余談・・・たしかに、マルシェなどで明らかに援助物資だろうなぁ、と思われる高校野球のユニフォームやどこかの高校のバスケットのユニフォームなどが売られているのをみたことがあります。(場合によっては、援助された人が食べるのに困って、お金に換えた、ということもありますが・・・)
大規模にやってIREB がからむと急に話がややこしくなって、事が進まなくなるような気がするけれど・・・原点に戻ってガイドと一緒にコツコツとやっていくことが一番の近道かも知れないと感じるなぁ。でも、それができない実情がきっとあるんだろうなぁ。難しいです・・・昼には日本から送ってもらった醤油ラーメンに手を付ける。午後はリハビリを兼ねて、大橋さんの村内の柵の調査(挿し木の基礎資料)に立ち会うことにしました。フラフラとおぼつかない足取りで・・・大橋さんと一緒に村の中を探してみると意外と柵が少ないことに気付きます。5~6カ所程度しかないのです。結構たくさんあると思ったんだけれど・・・大橋さんの資料としては不足していると思うけれど仕方なしに15時頃に終えて、研究所に戻ることになりました。水浴びをしてすっきりしてからゆっくりと過ごします。久々に太陽が顔を出していたので、たっぷりと汗を拭くんだ寝袋とマットレスを干すことにしました。夕食には鶏肉が入っていました。夕食と歓談のあと21時過ぎに床につきました。太陽の匂いがするマットで寝るのは久し振りでした。

2007年8月24日(金)
今日はチンパンジーを観に行くことにしました。復活です。寝坊してAM6:10に起きたときには焦ったけれど、コーヒーだけを流し込んで何とかAM6:30の出発に間に合う(というより間に合わせました)。目覚ましが鳴らなかったのか気付かなかったのか・・・(帰国後判明、腕時計が時々音が鳴らなくなるのです)。写真をいっぱい撮ろうと思っていたのだけれど、あいにくの雨でチンパンジーもほとんど動かない・・・その代わりと言っては何だけど、じっくりとかなり近くでチンパンジーを見ることができました。雨であんまり写真も撮れないし(そもそも今日見たグループはカメラを嫌がるんです)、チンパンジーは動かないし、13時頃に帰ることにしました。それにしても、チンパンジーはず~っと食べてばっかりです。それ以外は、寝ています。ここのチンパンジーは(ここ以外もかなぁ・・・)けっこう農作物を食べます。今日は、カカオを食べていました。ところで、みなさんカカオの味ってご存じでしょうか?割ると中に白い、押しつぶした白玉団子のような実が詰まっています。その表面に、ねっとりとした薄皮が張っています。その部分をこそげ取るようにして食べることができるのです。それは、まるでヨーグルトのよう。カカオと聞いて、チョコレートのような甘い味、もしくは苦い味を想像していたのですが、まったく予想を裏切る味。甘酸っぱさが癖になる味でした。
15時頃にまた出る予定でガイド達に来てもらいましたが、出ないことにしました(ごめんなさい)。雨も降ってるし・・・ね。16時頃だったと思うけれど、ブナがやってきて草刈りの費用の支払を大橋さんに要求していました。作業グループのChef に直接払いたい、と大橋さんが言うとブナは急に大きな声をあげて文句を言いだしたのです。「岳は金を払えばいい。どういうアレンジをするのかはオレが決める!」みたいなことを言ったらしいのです。あんなに大声で怒ったりすると言うのはいかにも「オレの取り分がなくなるじゃないか!」と言っているようなものではないか・・・個人的にブナを買っていただけにとても残念な気持ちになりました。後で、クルマ所長は他の用事できたフウを装って、最後に「ブナに支払ってあげてね。細かいことは知らないけれど・・・」みたいな感じでさらっと帰っていきました。引き際を知っている・・・それにしても、難しいなぁ・・・コリドー計画って・・・フゥ・・・

この写真は、カカオの木。
カカオってこういう実の付き方をするんですね。
知りませんでした。
ボッソウ周辺の山にはけっこう農作物が見られます。
もちろん人為的に持ち込まれたものがほとんどですが・・・

これは熟したカカオの実。
割ってみると中に白いタネがあります。
このタネの表面はネトッとしています。
このねっとりした部分をチンパンジーは食べるようです。
ボクも試食してみました。
上の記事でも書きましたが、これがヨーグルトのような味。
カカオという言葉からは想像できない味です。
どうやったらこの実からチョコレートやココアが作れるのでしょうか・・・

これは、チンパンジーの寝床(ネスト)。
寝る前に枝を折り曲げたり葉を載せたりして作るのです。
結構、寝心地は良さそうです・・・

バン山の夕方の様子。
毎日このような現象が起こるわけではないのですが、
これは山から湯気が上がっている様子。
不思議な感じがします・・・

2007年8月25日(土)
今日もせっかくなのでチンパンジーの写真を撮りに出かけることにしました。AM5:50に起床。臭い茶色の米をみそ汁で煮込んで、ネコ飯にして流し込んで準備を整えます。少しでも、匂いを消そうと必死ですが、それはむなしい努力です。臭いものは臭い・・・でも、食べておかないと動けませんから・・・しかし、出る直前になって、ブナがやってきて予定変更となりました。全員でコリドーを観に行くことになったのです。コリドーの草刈りの現場に着くと、同じギニア人だけれど、ガイド達はブナに「仕事ができていないじゃないか」と言っています。それでも、ブナは「ちゃんとやった。終わったんだ」と言っているのです。どう見てもブナの分は悪いけれど・・・だって、実際できてないからなぁ・・・現場をうろうろしている間にボニファスはキクラゲを採っていました。彼はそれをボクにくれたのです。ここのキクラゲも旨いんですよ。草刈り現場の検査の後、続きでゲイブナの挿し木の現場をみることにしました。一週間しか経っていないのにすでに芽が出ているものがあり、少しは気分を良くして帰ることができました。研究所に戻ると、ブナは、「担当者を集めて今夜に会合を開く」と言って帰っていきました。しばらくすると、日本人ツーリストがまたやってきました。「チンパンジーは観られましたか?」と聞くと「チンパンジーは結局観られなかった」とのこと。そして、追加料金を払わないと再び入ることはできない、と言われたらしいのです。ま、決まりでは、チンパンジーを観るために山に1回入るために「いくら」ということになっているらしいので、仕方のないことかも知れないけれど、交渉すれば何とかなるはず・・・要するに交渉に失敗ちゃったんでしょうね、きっと・・・彼は、諦めて「ニンバ山に行きたいがどうしたらいいか教えて欲しいんですけど」といってきました。「ニンバ山に登るんですか・・・泊まりがけになると思うけれど・・・」。結構この日本人のお兄ちゃんは果敢だなぁ、と感心させられました。そして、最後に、神妙に、
「もう1つ聞きたいことがあるんですけど・・・」と日本人ツーリスト。「え、何か?・・・答えられる範囲なら・・・」「あの・・・英語の仮定法について教えて欲しいんです」「???仮定法?ですか?」・・・会話の流れがよく分かりません・・・やっぱり、ちょっと変わっているんじゃないですか?彼が帰った後、我々は、12時半からチンパンジーを観に行くことになりました。子供のチンパンジーはイタズラ好きです。子供チンパンジーが特にイタズラ好きなのでしょう。観察している我々に、何かとちょっかいを出してきます。ツルをつかって、まるでターザンのように近づいてきては、何かをボク達の近くに落とそうとします・・・15時からはまたずっと雨。チンパンジーはまた移動しない、動かない・・・。ずっとミカンの木の上でミカンを王様食いしているのです。王様食い・・・美味しいところだけちょっとかじる(というよりは美味しいところの果汁を吸う)だけで、後はポイ・・・ひどい場合は、9割ほど捨てられている実もあります。人間よりも贅沢です・・・写真は昨日よりもたくさん撮ったけれど・・・16時過ぎにムサンガに移動したところでこれ以上の移動はなさそうなので諦めて帰ることにしました。その後は例によって飲みながら夜を過ごしました。完全復活したようで、自分でも安心します。

食事中のチンパンジー。
この実はパイナップルのような味がするらしいです。
一生懸命食べていますね。

この子はイタズラ好き。
写真のようにターザンのごとく、ツルを使って、
ボク達の方に近づいてはものを落とそうとして遊んでいました。

チンパンジーが食べた後のオレンジ。
まだまだ食べられそうな実がいっぱい落ちています。
本当に美味しいところだけを食べるチンパンジー。
まるで王様のような食べ方。
だから、「王様食い」とボクは呼んでいた・・・

2007年8月26日(日)
AM6:00起きると外は雨。当然のように6:30になってもガイドは来ません。竹元さんはそれでも出かけて行きました・・・7時半頃ボニファスが来てくれたのですが、雨がひどい。やんだら来てもらうように大橋さんに伝えてもらいました。9時過ぎ、大橋さんは研究のため、チンパンジーの糞を取りに出かけて行きました。環境省の依頼らしいのですが、大変です。ボクはと言えば、しばし、フランス語の勉強。最近、現地ガイドのボニファスと二人で行動することが増えてきたので、何とか意思疎通がとれるようにと、遅いと思いながらも、付け焼き刃で何とかしようと思っています・・・10時頃もう一度ボニファスが来てくれたのですが、まだ雨。午後に雨がやんだら来て欲しいとなんとか伝えてみました。なんとか、伝わったのか、ボニファスは帰っていきました。11時過ぎに雨が弱くなった頃にボニファスがまた来てくれました。そして二人で河畔林を観に行くことに・・・ニンバ山の中腹あたりから見たり、コリドー道から見たときにボリュームがあったので期待していた河畔林を観に行くことにしたのです。しかし、実際に行ってみると幅がないことに気付き、がっかりすることになりました。川のすぐ近くまでサバンナになっていたり水草のような柔らかい草が繁茂していたり・・・切られた木の跡があったり、燃えた跡があったから、少なくとも柔らかい草があったところは河畔林だったのだろうなぁ・・・繰り返し火が入らないようにして、早く林に戻した方がいいんだろうなぁ・・・ムサンガも生えていたりして、他の河畔林とは少し様子は違うけれど・・・もしかして、この河畔林はボリュームがないけれど、チンパンジーが移動に浸かったりしているのだろうか。鳥がタネを運んだりするのならば、他の河畔林にもムサンガがあってもおかしくないし・・・などと色々考えながらぶらぶら歩いていました。そして、この皮は一体どこから来ているのだろう・・・と思ったボクはボニファスに頼んで、その河の始点まで行ってみることにしました。河はニオンとセリンバラを結ぶ道の近くで止まっています。ニンバ山から川が続いているわけではないのです。どうやら、水が湧いていて、そこから川が流れているのではないかと思います。その水が湧いていると思われるところは深さ20mくらいの谷になっていました。ほんとうにここはサバンナの中なのか?と思うくらい、涼しく静かな素敵な場所でした。高さ20mほどもあるゲイブナがあったりするし・・・でも、木々の1本1本は大きいけれど、本数としてはやっぱり少ないのです。やっぱり植えて増やした方がいいんだろうなぁ、と思います。帰り道、ニンバ山の方を指さして、ボニファスは「鉄を取るために山を削っている」とボクに教えてくれました。世界遺産を削るなんて・・・気落ちしながらも16時頃に研究所について水浴びをします。夕方の水浴びは寒い・・・水浴びの後、大橋さんとビールを飲み、ワインも続けて飲みました。しばらくすると、ブナがやってきて、セリンバラの人間達にストをやられて仕事が止まっているとか言っていました(らしい)。それで仲介所か裁判所か何かに話が行っているとかいないとか・・・竹元さんが帰った頃には大橋さんはいびきをかいて寝ていました。疲れているのだと思います、大橋さんも・・・大変です、本当に。そこにイバがやってきて「明日ローラに行ってプレフェに会わなければいけない」と竹元さんに言ってきました。ブナの話を聞いていない竹元さんは事情がつかめないし、何が何だか良く分からないので当惑しているようでした。イバも理由をはっきり言わないし・・・。明日の朝、もう一度来て欲しいと言ってイバには帰ってもらいました。そして、今日は21時過ぎには床につきました。

あのセリンバラ村から小高いところに上がって、
コリドーを眺めたときにみえた河畔林。
こうしてみると、樹は少ない・・・
これでは・・・
いつ消えてしまうか心配です。

河畔林から少し離れるとサバンナ。
ちらほら木々が生えているのはあの河畔林。
きっと昔はここも河畔林だったのではないでしょうか・・・

河畔林をずっと上流に向かっていくと、川の源流に・・・
この川はニンバ山から流れてきているわけではないのです。
どうやら水が湧いて出ているようです。
その湧水があると思われる場所です。
サバンナから20mくらいの谷になっていたでしょうか。
そこはサバンナの真ん中にあるとは思えない、素晴らしい秘境でした。

河畔林の視察につき合ってくれたボニファス。
彼が座っているのは落枝。
枝でこの大きさです。
ということは・・・木々の大きさが想像できますよね。

ニンバ山。
帰りにボニファスが、
「鉄をとるために山を削っている」
と教えてくれました。
世界自然遺産を削るとは・・・
削られているのは、リベリア側。

2007年8月27日(月)
AM6:00目覚める。今朝は副所長のイバが来ると言っていたのに来ないのです・・・竹元さんも大橋さんも予定がつかないので困っています。仕方がないので、7時頃にダウカに呼んできてもらうことになりました。昨晩、我々にローラに行かなくてはいけない、という話をしていたので、その予定と、いったい何のために行くのかを聞きたかったのですが・・・しばらくするとイバがやってきて、「ローラ?別に行かなくて良いよ」とあっさり・・・昨日は行かないといけないようなことを言っていたのに・・・クルマ所長が行くからそれで良いらしいのです・・・イバは訴えられたとか何とかでびびったんだろうけど、クルマ所長が別にびびる必要はない、と抑えたんだろうなぁ、と思います。8時頃からパキレと二人で、我々日本人3人の記念植樹用の苗を探しに行くことにしました。林縁部とかにいっぱいあるだろうと高をくくっていたのだけれど、その目論見はものの見事に外れることになりました。探し出すとなかなかないものなんですね。。。見つけても強烈な直根が侵入しています。やむを得ず、太いけれど切る。。。そして簡単な根鉢をつくってまた土を被せます。植えるまでの間に少しでも根が出てくれることを祈りつつ・・・探しては掘る、を13時半頃まで続けました。研究所に戻ると竹元さんも大橋さんもおられました。チンパンジーが見つからないらしいのです。チンパンジーが見つからなければ観察もできないので、仕方のないことです。それから昼食を食べて、その後はフランス語を少しでも勉強しよう試みます。午前中、パキレと思うように意思疎通ができなかったので・・・反省です。夕方、クルマがローラから帰ってきて少し話して帰っていきました。「問題ない」とさらり。夕食の後、こっちで初めてお湯浴びをしました。(これまでは水浴びでしたから・・・)とても気持ちが良いものです。コナクリで湯のシャワーを浴びるよりも気持ちいいんじゃないだろうか、と思うくらいでした。夜は、アンリやセグミ、パキレと学生、ブナがやって来て何かと話して帰っていきました。酒を飲みに来る人間、話をしに来る人間などなど・・・ここでは静かな夜は少ない・・・のです

2007年8月28日(火)
AM6:00例によって目覚ましに起こされました。20分間「ぼけ~っ」としてからサロンに。ガトーをかじり、コーヒーを飲んでゆっくりと朝の時間を過ごします。これまでのボッソウの状況を把握していなかったので、ボッソウ・アニュアル・レポートを読むことにしました。
ボッソウ・アニュアル・レポート
ボッソウに関しての報告を各研究者が関わった範囲で報告書にまとめて、それが年度ごとにファイルされているのです。それがボッソウ・アニュアル・レポート。
森林伐採問題やIREB の設立、コリドー計画の変遷などについて初めて詳細を知ることとなったのでした。改めてコリドー計画の難しさを感じることとなったのです。「草の根補償」でギニア側に日本からの援助という形で現在のIREB とKUPRI の建物が建てられ(KUPRI はギニア側から建物を借りているという立場になっているそうです)、ボッソウ周辺の環境に関する県境を行うと言うことになっているのですが、実際問題、観光客がチンパンジーを観るためのガイドの斡旋をして、それで収入を得ている、という形になっています。また、京都大学霊長類研究所(KUPRI)関係者が携わる環境事業(グリーンコリドー計画が最たるもの)を請け負っている、ということになるのですが、何度も書いているように、実際に成果の上がる仕事というのはほとんどなく、かえって間に入っているからこそ村人との間に軋轢が生じ、その結果森林伐採(村民の抗議活動の一環)や放火、ガイド達への嫌がらせなどが生じているようなのです。KUPRI からの仕事がなければIREB の関係者は自主的には仕事はせず、ただただ「ぼけっ」としているか、自分が持つ畑仕事に勤しんでいるという歪んだ形になっているようです。ギニア国家から給料が支払われている(ちゃんと本人の手元に届くことは少ないようですが)はずなので、KUPRI がお金を支払って依頼した仕事以外でも環境事業を進めていくべきだとは思うのですが、「仕事とは」という意識が少ないようです。困ったものですね・・・
14時頃、大橋さんはニオン村とセリンバラ村の柵の調査から帰ってきました。18時頃から大橋さんとボッソウのことやコリドーのことなどについて話をする機会を得ました。アニュアル・レポートを読んで、さらに大橋さんからこれまでの経緯を聞いて・・・難しいものです、アフリカで事業を進めて、結果を得ようとするのは・・・竹元さんはといえば、19時半を過ぎるまで帰ってこなかったのです。チンパンジーを追うのも楽じゃないです・・・0時過ぎまで竹元さんとボッソウについていろいろ話をしました。竹元さんは、アフリカの他の地にも行かれているそうで、客観的にボッソウをみられるという感じでしょうか・・・それだけに、ボッソウの難しさと、アフリカ共通の難しさを教えて頂きました。そして、竹元さんは、ボッソウの食事はアフリカの中でも最もつらい部類だと言っておられました。そろそろ美味しいものが食べたいです。。。

2007年8月29日(水)
今日は休日。7時を過ぎるまでごろごろしていました。ガトーをかじりゆっくりと朝の時間を過ごします。9時、大橋さんとンゼレコレに出かけることになりました。道中、トウモロコシを大橋さんから頂きました。日本で食べるような甘いトウモロコシではなく、甘みがほとんどない、穀物の味がしました。初めて、トウモロコシが穀物だったんだと実感した瞬間でした。ンゼレコレではスーパーで買い物の後、先週と同じくHôtel GOLO で昼食。鶏肉とフリッツ(20,000FG)とSkol(5,000FG)。12時半頃から市場で野菜、アフリカマイマイ(カタツムリ)を買しました。カタツムリといっても、結構大きなもので、日本のサザエなんかよりは余裕で大きいものです。大きいものになると、ちょっとしたコルネ(パン)くらいの大きさにはなります。マッチも10箱購入(1,500FG)。そしてランクルのファンベルトの交換。恐ろしいことにほとんど切れかかっていたのです・・・コナクリまでの帰路、これで切れずに済むとおもったら、一安心です。アフリカマイマイはボッソウのガイド・ジルの家にとってトーテムであるらしく、持つのも嫌がっていました。そういうものが今でも根付いているんですね・・・アフリカは。日本にはそういったものってあるのでしょうか・・・さて、ボッソウに戻って、ザイケリンに調理してもらうつもりでマイマイを渡したら、ザイケリンの家もアフリカマイマイはトーテムだったらしく、やや調理するのは嫌がっていましたが・・・申し訳ないけれど、料理してもらっちゃいました。夕刻、大橋さんが市場で買ってきた茄子を焼き茄子にしてくれました。こっちの人は焼いただけのものなんて野蛮だ、というけれど、美味しいからそれはそれで良いと思うのだけれど・・・。醤油のような成熟した調味料がないからかも知れないですね・・・。夕食はオクラとキクラゲ、アフリカマイマイをヤシ油などで煮込んだものでした。マイマイは少し泥臭い感じではあったけれど、歯ごたえはアワビに似ていて結構美味しいものでした(とはいえ、やはりアフリカの味ですけどね)。少し、ねとっとした感じもあって、もしかすると苦手な人もいるかも知れませんね・・・。19:45、ソープレターがやってきました。他の村でボッソウから渡ったチンパンジーが子供に怪我をさせたらしいのです。何とか彼がアレンジしておさめたらしいけれど・・・他の村でもチンパンジーに対する教育が必要だから、その資金が欲しいというのです。また、怪我をした人に対して見舞いをしたいから援助して欲しいとのこと。大橋さんの調査でも実際にけっこう他の村まで移動することがあるらしいので、仕方ないのでしょう、こういった援助は・・・。人慣れしたチンパンジーの保護も結構難しいものですね。人を怖がらないから、人に近づくし、でも、人が大声を上げたり、逃げたり、攻撃したらチンパンジーは身を守ろうと攻撃をしてきますからね・・・。20時にブナとイバが来ると言っていたけれど、20:19にブナだけがやってきました。「ゴメン。でもこれがアフリカ風なんだ」といって笑って入ってきたのです、ヤレヤレ・・・。イバは、というと飲んでいて来られないらしいのです・・・ヤレヤレ・・・。彼は、チューブの設置に関してやって来たのです。チューブの設置は村人にとっても良い稼ぎになるらしく、村で「チューブの設置はいつするんだ?」声を掛けられたことも度々ありました。期待されるのは良いけれど、チューブを使うと言うことは結果を求められると言うことだから・・・これまでは植えられた樹が枯れたって、目立たないから気にならなかったかも知れないけれど、チューブは「樹を植えました」という目印になるから、枯れると目立つんだよなぁ・・・(これは日本でももちろん同じことだけれど)。したがって、状態が悪い苗木にチューブを設置するつもりは毛頭ない、のです。今年は少数精鋭(人も樹も)で明日から頑張って行こうと思います。

2007年8月30日(木)
今日はいよいよチューブの設置です。AM6:30にサロンに入り、7時半からランクルに500セットのチューブを積み込んで、8時前に第一弾が出発していきました。第二弾は荷物を降ろしてからランクルが帰ってくるのを待つこととなりました。しかし、なかなか帰ってこないのです。戻ってきたのは9時前・・・(お、遅いよ・・・)。まずはウワパカの苗が良く育っていたところからチューブを設置することにしました。昨年の成績が全く良くなかった現場のすぐ隣だけれど、去年の苗の状態は全体的に悲惨なものだった(今から思えば)から、今年は期待したいものです。ところで、去年まで植えた植物が枯れた原因の1つに「シロアリが食べるから」ということを現地の人間が言っていたのだけれど、「シロアリが生きた樹を食べる?」という疑問に思っていたのです。日本で「枯れた木につくものがシロアリである」という認識を持っていたのだけれど・・・実際こっちでは本当に生きた樹を食べるのです。信じられないことだけれど、実際に目の前で生きた苗木が食い倒されているから、信じないわけにはいかないし・・・恐るべきアフリカ・・・。チューブの設置作業を行っているときに、農作業小屋(ここは米、マニオク、アリコ(マメ)、パパイヤ、パイナップルなどが植えられているアグロ・フォレストリーの現場)が燃え出すというハプニングに遭遇。チューブの設置に来ていた作業員達はみんな慌てて消火作業に取りかかります。東屋の中で火を使っていたらしいけれど、屋根の高さが数十センチしかないようなところで火を使い、しかもその火が大きくなったものだから、屋根のワラ(イネ科の草)に燃え移ったのです。植栽地が火元でサバンナに燃え広がったりしたらしゃれにならないです・・・。勘弁して欲しい・・・。そこの現場のチューブの設置が終わると、13時過ぎに研究所に一端戻って休憩。14時からまた出かけて10haという大規模の植栽地へと行きました。しかし、ことごとく枯れており、生きているものを探すのに一苦労するような状態。。。こんなところでチューブは設置できないよ!!!と設置を諦めて帰っちゃいました。夕方から、サバンナで植栽できる方法がないか、大橋さんと話をすることとしました。サバンナの真ん中に東屋を造り、苗床として、そのまま放置。徐々にサバンナの気候に順化してもらおうというものです。そしてそこで勝手に大きくなってくれたら・・・というのが狙い。バカげている、と言われそうだったから今まで誰にも言わなかったけれど、大橋さんは「やってみませんか?」と言ってくれました。その他、ビニールシートなどでマルチングしてイネ科のサバンナ植生を抑えることもできないか、と大橋さんに尋ねられるが、それなりの効果はあるはずだと思う。今回は、これまで密かに試してみたいと思っていたこと(会社の仕事とは直接関係はないけれど)をいろいろと試すことができたので、個人的には本当に充実して、有意義なボッソウ訪問だったと思います。大橋さんが一緒に来てくれて本当に良かったと思います。

シロアリに喰われて倒されたウアパカ。
生きた樹を食べるなんて・・・
信じられないけれど、これが現実です・・・

シロアリの通り道。
シロアリは太陽光に弱いらしく、
写真のように土でトンネルを作って樹を登っていきます。
そして、食べてしまうらしいです。

チューブの設置作業中に燃えだした農作業小屋。
延焼を防ぐために作業員やボク達が慌てて屋根をはがしたのです・・・
その残骸がこれ・・・
本当に、植栽地が火元、何てことにならないように気をつけて下さい・・・お願いします。

チューブの設置作業をする大橋さん。
バックにそびえるのはニンバ山の中のグートン山(だと思う)。

2007年8月31日(金)
朝、7時半頃から出る準備。サバンナに東屋苗床(ハンガー・ドゥ・ジャポン)を作り、研究所敷地内から苗を持って行って放置する、という試みです(昨日話し合って出てきたアイデアですね)。運転手のピエールにガイドのボニファスを呼んできてもらって、ボニファスがやってくると、ボニファスは作業員としてジリバンバをまた呼びに行くという段取りの悪さ。ニオン村で更に作業員を雇ってコリドーへと向かいます。しかし、コリドー道の入口にセリンバラ村の住民と村長がいて、バリケードを組んでいるじゃないですか・・・コリドー計画でもめているのが原因だそうです。話によるとIREBから書面での契約が全くない、とか、コリドー用地がはっきりしないからどこを畑にして良いかも分からない、とか・・・そもそもサバンナで農作業をしている人なんて(コリドー用地として切り開かれたところ以外では)いないし・・・結局、大きな金が動くところで仕事が思ったように入ってこないとか、仕事したけれど金を中間で搾取されているとか、そういったところでの問題が爆発しているのです。そもそも、去年チューブを設置した河畔林に囲まれたところも、もともと誰かが畑のしようとしていたところだったとかで(本当は火を付けただけで放置されていたらしいけれど)、そこに勝手に植栽してチューブを設置したとかで、チューブは蹴り倒されて、つぶされたりしていたし・・・。IREB とセリンバラ村は上手くいっていないらしいのです・・・。そういった政治的なところはクルマ所長がちゃんとバランスを取って仕事してくれればいいのだけれど、彼はセリンバラ村には一度も訪れたことがないらしく・・・ボッソウで彼は一体何をしているのか???と疑いたくなります。仕事の内容についてはIREB に依頼しているからKUPRI(我々)が知るよしもなく、あくまでもIREBとセリンバラの問題であると伝えてたようです。植栽作業の邪魔をして、樹を伐ったりもしているのです。。。挙げ句の果てには、「コリドー計画はセリンバラにとってなにかベネフィス(利益)があるのか!?」とか言っています。そもそも、もともと仕事がない時期に仕事は少なくとも発生している(中間搾取はされているかも知れないけれど)し、その時点で利益はあるわけだし、そもそも日本人にとってはサバンナが森になったからと言ってそんな利益があるわけではなく、植栽に関してはあくまでもボランティアです(と言えると思う)。「そんなにサバンナが好きならそれでもいいよ」と大橋さんは言っています。実にその通りではないかと・・・。9時過ぎになるとようやく、村長はこちらの主張に理解を示してくれるが、とりあえず村の長老達にもその旨を説明して欲しいとのことでセリンバラ村に行くことになってしまいました。そのころセリンバラ-ニオン道をチンパンジー(チュアとパマらしい)が歩いてきて、場の雰囲気を和ませてくれました。チンパンジーたちは、いったいどのルートをたどったのだろう・・・コリドーができあがったら、もっと頻繁に行き来してくれるのだろうか・・・?セリンバラに行くと人が続々と集まってきて、話の概要をボニファスに伝えてもらうことになりました(マノン語で話をするから大橋さんでも無理)。いったんは落ち着きをみせるが、血気盛んの若者連中が「ストをするぞ!」とかいってまたもめる始末。多分、今回の草刈りでブナに中間搾取されてカッカきている若者達なのでしょう。そんなところに間が悪くブナがやってきたのです。「こんなところに来るなよ~」と思っていたのですが、表向きはみんなおとなしくブナを迎え入れていました。お、大人だ・・・。途中からローラの仲介人(検事もしくは裁判官みたいなものらしいです)とニオン村の村長がやって来て、「あんまりもめるんだったらローラに訴えても良いし、最悪コナクリまで話を持って行っても良いんだぞ」みたいなことを言うと、若者連中もとりあえずは収まりました。だって、下手したら牢屋送りだもんね・・・。昼過ぎにようやく作業に取りかかることができました。とりあえず、東屋(ハンガー・ドゥ・ジャポン)の設置をする場所を確定して、地ならしをして帰ることにしました。帰りの途中、東屋の柱用の竹(バンブー・シェ・ノア)を切って道ばたに置いておく。これは明日にランクルで拾って現場に向かう予定。歩いて研究所に戻っていくと、もうほとんど研究所、というところでピエールの運転するランクルが見えてきました・・・クルマの私用でランクルが出ていたのだけれど、帰ってくるのが遅いよぉ~。でも最後まで歩くよりはマシかと(近いと言っても歩いて10分から15分くらいはかかる)ランクルに乗って帰りました。研究所に戻ると、やってられないとばかりに大橋さんとビールを飲みました。ボランティアしているにもかかわらず、さんざん文句ばっかり言われていたのだから・・・完全にやけ酒です。。。夜には大橋さんはまた、竹元さんにからんでいました。ストレスがたまるよなぁ、そりゃぁ・・・。自分の仕事(チンパンジーの調査)がまったくできない上に、コリドーであっちからこっちからなんやかんやと言われて・・・酔って疲れて大橋さんは先に眠ってしまいました。お疲れ様です・・・

2007年9月1日(土)
昨日の続きで東屋の設置作業に取りかかろうと思っていたら、ランクルのタイヤがパンクしていたのです。昨日、クルマが出かけて時にパンクしたらしいのですが、修理せずに放置されていたのです。更に左前輪がパンクしてしまったので、交換するタイヤがない。自分が乗ってパンクしたのだから直せばいいのに・・・。修理が終わるまでボクと大橋さんは待つことにしました。大橋さんはガイド達には朝食を振る舞っています。彼らはその朝食で気をよくして、「時間がおしているし歩いてでも資材を運んで東屋の設置に取りかかる」と言って朝食後に出て行きました。タイヤの修理はというと、タイヤを運ぶバイクを探すところから始めるのです。何をするにも時間がかかるのがギニア流です。当然、待っていてもなかなか来ないのです。先に東屋の中に植えるべく、苗畑から状態の良さそうなウワパカを頂戴することにしました。それでもタイヤは帰ってこない・・・。11時過ぎに昼食を食べてしまうことにしました。その後、知らない女性がやってきて、握手を求めてくる・・・。よく分からないけれど、彼女はそのまま研究所のサロンに入っていって、今度は大橋さんに握手を求め、「ニコラ(KUPRI 関係のフランス人研究者)は?」とか「何かくれ」とか言っていたらしいのです。「それは無理だ」というと「ディレクターに会いに行く」といってIREB の建物へと向かって行きました。クルマかイバの彼女か?と思っていたが、大橋さんがイバに尋ねると「頭がおかしいからほっておけ」だって・・・。しばらくすると彼女がまた戻ってきて、タマネギと1000FGを僕らに渡して行ってしまったのです。意味が分からない・・・。ダウカに聞いても、ちょっと障害があるんじゃないか、と言っていました。困るんだよなぁ、対応しづらいから・・・。ダウカは守衛なんだから、そういう意味が分からない人が来たら対処してくれないと・・・。その後、IREB からスキャナーの使い方を教えて欲しいといわれ、大橋さんとともにIREB のオフィスに。日本からHP(ヒューレットパッカード)の複合機が寄付されたらしいが、説明書が日本語だから読めないらしいのです。仕方ないですね。しかし、適当にインストールしたからか(手順に従わずに)、複合機を認識していないのです。仕方がないので、一端アンインストールしてからもう一度セットアップすることとしました。それにしてもかなり動作が遅いパソコン。一応XP対応のノートパソコンだけれど、日本から安いものを寄付されたらしい(高価なものを寄付してもすぐに壊す)。そこに意味がないとは思うけれどノートン・インターネット・セキュリティーが入っていて、その他にもアンチ・ヴァイルスのソフトが幾つも入っている・・・。裏で動いているソフトがいっぱい入っているから動作が重たくなるんだよぉ。。。多分、必要ないソフトも相当インストールされているはず。何をするにも時間がかかるけれど、なんとかセットアップが終わる・・・。そのころにはタイヤも戻ってきていたので、サバンナにでることになりました。今日はイバも一緒に来るというのでランクルに一緒に乗って、道中でヤシの葉を拾うことにしました。ちょうどそのころに豪雨になったが、その中、イバも作業を手伝っていました。意外だったけれど、彼はそういえば作業をすることは意外とやるんだな・・・。去年はチューブの設置作業も一緒にやっていたしなぁ・・・。サバンナの真ん中に行くと東屋は徐々にではあるが設置されつつある。イバは「何をやっているんだろう?」と訝しげ(いぶかしげ)だが、特にボク達にはからんでこない。代わりにといっては何だけれどガイド達にからんでいる。頼むから仕事の邪魔だけはしないで欲しいです・・・。しばらくすると「ディレクターに話をしてくる」といってイバは早々に帰っていきました。資材が届いてからは作業が順調に進み、屋根のヤシ葉もどんどん載せられていく。できあがった小屋の中(屋根の下)は涼しく、気持ちよいのです。そこで朝から仕事を続けてきたガイド達に酒を振る舞って休憩することにしました。そして、苗を置く場所を耕して準備しますが、情けないことに手にマメを作ってしまいました。最後の一棟の屋根用のヤシ葉が足りなくなったので、ランクルに取りに行かせました。夕方、雲行きが怪しくなってくるがランクルは来ない。どうしたのかと思っていると、IREB のジムニー(こっちではSAMURAI という名前になっている)がやってきたのです。雨が降りそうだからと、ピエールが気を利かせてクルマを借りてきたらしいのです。優しいねぇ。どうやらランクルはまたパンクしてしまったらしいのです。2ドアのジムニーに無理矢理6人でギニア乗り。一番若手のアンリは後ろの補助輪に捉まっている・・・そのころには豪雨になってしまいました。窓が壊れていて閉まらないから、雨がドンドン降り込むし、屋根の幌から水がドバドバ注ぎ込んでくるので結局、びしょびしょになるのです。セリンバラ-ニオン道で心配していた事態が起こったのです。エンジンが止まったのです。何とか押しがけでエンジンは吹き返し、走り出すが、橋を渡ったあたりでまた止まってしまう。何度か押しがけを試みるが動かない・・・。仕方がないので、ニオン村までとりあえず車を押して歩いていくことになりました。当然びしょびしょです。ガイド達がニオン村でガソリンを足すか、らといってガソリンを探しにいきました。エンジンルームにポリタンクにガソリンが入れられていて、そこから直接エンジンへの給油パイプが突っ込まれていて、エンジンへとつながっている・・・配線ももとの形をとどめて居らず、良くこんな状態で走っていたよなぁ、と思う。結局、ガソリンが見つからず、歩いて帰ることになったのです、ヤレヤレ・・・。ピエールとジリバンバがニオンにとどまることになりました。車の部品とかが盗まれることがあるからなのです。どんどん暗くなるし、雨は降る。傘を差して歩くが、もう濡れているから一緒のような気もする・・・。結局19時20分頃に研究所にようやく帰って、ダウカにニオンまでガソリンを持って行って欲しいと頼むが、「電灯がないから嫌だ!」というので、
結局ボニファスとアンリにガソリンを持ってまた歩いてニオン村まで引き返してもらうことになったのです。彼らが研究所に戻ってきたのは21時を過ぎていました。ガソリンを足しても、やっぱりクルマが止まるので、結局押して押してここまで帰ってきたらしいのです。お疲れ様でした・・・そして、ゴメンなさい・・・

作成中の東屋。
竹(バンブー・シェ・ノア)とヤシの葉軸(バンブー・ラフィア)だけで作っていく。

上の写真の骨組みに、ヤシの葉を載せていくと、
このようになります。
陰が涼しげでしょ・・・

実際に、東屋の中は涼しくて気持ちいい。
陰があるだけでこんなに違うのか・・・と思ってしまいます。
東屋の中でちょっと休憩。
ヨップルを飲んでいます。

樹を植えるために地面を耕しておきます。
結構このあたりは地面が固かったりするので、
根が伸びやすいようにと・・・願いを込めて・・・

2007年9月2日(日)
東屋の屋根を仕上げる予定だったけれど、パンクを修理しないことには大変です。パンク修理が終わるのを待って東屋設置から取りかかるか、残っているチューブの現場の調査を先に行うか・・・迷った挙げ句に、9:20頃に出かけることにしました。セリンバラ村民にチューブが倒されたという現場の調査です。歩いていけるし・・・。ボッソウの住民のフォデイの畑だと言うから、フォデイを呼びに行って一緒に出かけることになりました。危うげな橋を3カ所も渡っていかなければいけないのですが・・・。去年の夏には流されてなくなっていた竹の橋が復活していて、まずはそれを渡ります。所々腐っていて、大橋さんはそこを踏み込んでしまって腰のあたりまで沈み込んでしまいました・・・コワイ。大事には至らなかったものの・・・。次には水没してしまっている橋。水量が増えているので、橋が沈んでいるのです。所々に手すり代わりに木の支柱が立てられているのですが、どこまで信用できるか分からない・・・。ぐらぐらしているし、体重を預けてしまうと根元から折れそうです・・・。水没つつも揺れる橋と流水。体のバランスを何とか保って渡っていきます。最後にはあの底なし川に板が沈めてある沈め橋。板がフワフワ浮いたり沈んだり、傾いたり・・・バランスを崩すと泥沼に足を突っ込んでしまう・・・。川の底が泥で柔らかく、そのまま足を入れるとズブズブどんどん沈んでいくので、沈まないように板が置いてある(人が乗っていないと浮いている)だけなのです・・・。それを越えていくとチューブの現場はすぐそこ。たどり着くと様子は一変していたのです。草が茂っていてチューブなんか見えない。。。畑だったはずだけど・・・。どうやら一回収穫したら放置されるので、畑にしても継続的に管理されるとは限らないようなのです。畑との併用植林もこうなると意味がないです・・・。ここで、チューブを200本抽出して、生きているか死んでいるかを判定するが、たった8%の残存。。。去年の末の段階で状態が良かったらしいところは、ほとんどセリンバラ村民によってチューブがなぎ倒されていたのです。。。悲しい現実です。草刈りはされていない、防火帯は切るように依頼して金も払っているのに仕事がされていない。。。落ち込みますよ、そりゃ・・・。14:20、がっくり肩を落として歩いて研究所にかえりました。昼食をどうするか迷うが面倒くさいので結局ラーメンを食べて、タイヤが修理から帰ってくるのを待ちます。しかし、16:20になってもタイヤは帰ってこなかったので、今日はこれで終了とすることにしました。18時過ぎに運転手のピエールが帰ってきました。お疲れである。昨日のこともあるし・・・タイヤの交換をしてもらっている間に、ついでにエンジンルームの点検を行います。ファンベルトがやや緩かったので締め直し、冷却水を確認。すると、水がほとんどない。。。危うくエンジンが焼け付くところだった・・・エンジンを壊すとこっちでは致命傷である。危ない危ない・・・。19時頃お湯を浴びて、直後にザイケリンが夕食を持ってきて薬と飴をねだって帰っていきました。しかし、こっちの人間の管理はいい加減だし、色んなことを頼んでもできない・・・。コリドーは、やっぱり小面積で高密度の管理を行って、徐々に、一歩一歩進んでいくことが最善の方法ではないでしょうか・・・疲れた・・・

大橋さんがぶち抜いてしまった橋。
この写真は、2005年の年末に撮影したもので、実際にはもっと危うい状態になっていました。
2006年の夏に来たときには、この橋はなかったし・・・
川の増水で流されたのか、それとも誰かに壊されたのかは不明ですが、いつもここにこの橋があるとは限らないし、安全に渡れるとも限らないのが怖いです。

川に浮いている板の上を渡る。
浮いているだけなので、当然板は沈んでしまう。
しかし、川底は泥で、板がないと足が沈んでいってしまうので、この板は重要。
のると沈むので、勝手に「沈め橋」と呼んでいる。
しかし、川の中にはどんなセンチュウや寄生虫がいるかわからないので、気分は良くないです・・・

チューブを設置していた現場は、写真のように草だらけ。
木々は当然のように光不足になる。
畑と聞いていたので、管理されるものと思っていたけれど、一度収穫された後は放置されたそうです。
管理してもらえないなら、アグロフォレストリーのメリットは半減してしまう・・・

上の写真の現場。これは2006年夏、設置直後の様子。
草が生えているようにみえますが、これはコメ。
この段階では、草はなく、周辺も川に囲まれているので、条件はいいと思って喜んでいたのですが・・・

状態が悪いといっても、中にはこのように大きくなっている樹もあるのです。
植栽からたった一年でここまでなるのです。
全部が全部このように育ってくれたら本当にうれしかったのですが・・・
なかなか上手く行かないものです・・・

2007年9月3日(月)
メフロキンのせいか酒のせいか・・・夜中に三度もトイレに起きました。それでもAM6:00に起きて、何とか6:20前にサロンに入っていきます。竹元さんも大橋さんも起きていて竹元さんはすでに朝食を食べています。ボクもスープを分けてもらってそれをあてにパンを食べる。すでにややカビが見受けられたが、粗く削って食べました。今朝が限界だろうから・・・と言う思いもあって食べきってしまう。7時過ぎにピエールの運転でコリドーへと出かけます。しかし、クルマ所長がンゼレコレに行くというからと理由でランクルは早々に帰ってしまいました。タイヤをやっと修理した、と思ったらこれだ・・・。こっちが修理をするのを待っていたかのようなタイミングで自動車を持って行く。。。使いたいから直したのに。。。朝食の時間にはダウカが、クルマが「コナクリへの長旅には今のタイヤでは不安だから、タイヤのチューブを前輪交換したいから半分払ってくれ」と言っていたと話していました。ダウカは「どうせ半額分のお金を渡しても懐に入れるだけだから、こっちで直して、それから半額請求した方がいいよ」と忠告。同じギニア人(とはいってもマノン族とマリンケ族の違いはある)に信用されていないというのも悲しい気もする・・・。(日本人どうしでも信用されてない人っているな、そういえば・・・)。コリドーではまずは未完成の東屋(ハンガー・ドゥ・ジャポン(仮称))を完成させて、それからゲイブナ(マノン語)の挿し木の発芽状況を調査。東屋の屋根となるヤシの葉っぱってけっこう大きいのです。ヤシの木を見るとそんなに大きく感じないけれど、木自体が大きいから感覚が狂っているんですね~。
今日は、サバンナ中程にあるウワパカ周辺に挿し木したものと、コリドー道入口付近のハルンガナ群の中に挿したものを調査。結構な確率で発芽が確認できたのは驚き。正直、芽が出てくるまでには1ヶ月近くかかるのではないかと思っていたから、2週間やそこらで芽が出ているだけでも驚きだったし、それ以上に半数以上が芽が出ているという事実にかなり驚きました。うれしい驚きです。今年の植栽地の苗木の状況があまりにもひどかったので、かなり救われる気持ちになったのは間違いないです。その調査の後、今年のチューブの現場でナンバリング作業を行いました。総数289本(+2本はシロアリに食われていたので外す)。ここの苗木の状態はそこそこ良いので、全てが順調に育ってくれることを祈りつつ・・・
。その後、昨年夏に設置したチューブの現場(セリンバラ村とニオン村を結ぶ道沿い)を調査。思っていたほどの惨状ではなかったものの、それでもやっぱり状況は良くなく、落ち込む結果であったのは間違いなく・・・。苗木の状態も悪かったし、草刈りはなく、光不足で伸びきっていないし、シロアリにも散々やられたようだった。実際、現地の人に「シロアリの被害も結構ある」と言われていたが、「シロアリが生きた木を食うかぁ~?」という思いこみがあり、信じていなかったのですが、こっちのシロアリは生きている木を本当にガンガン食べるのです。驚きです。昨年のチューブの現場の調査を終えたところで、ガイドもブツブツ出したらしく、更には大橋さんが疲れてきたのもあって、今日の作業はここまでにしようという話になって研究所に向かって歩き出しました。ボクはまだ仕事を続ける元気はあったのだけれど、実際歩いて帰る途中に、エネルギー切れになりだして、ボッソウを取り囲む山(というか丘に近い)をこえる段になって体が急激に言うことを聞かなくなりだし、限界に近かったことに気付いたのです。クルマには、夕方には帰ってきてくれるように言っていたはずだったのだけれど、結局、最後まで歩いて帰ることになってしまった・・・。研究所に着くと早速に水浴びをして(体が冷えてくると面倒くさくなってしまう)、ビールを飲んで一息つきました。これで生き返る・・・今日は18時から、アンリ宅でジョクロとマニオクをご馳走してくれる(とはいってもジョクロ代は大橋さんが払っているし、マニオクはフォデイがくれたもの、そしてヨップル代は翌日、大橋さんにアンリが請求していたから、ご馳走したのは大橋さんだけれど・・・)というので、出かけました。ジョクロとはジョクロという植物(マノン語)につく毛虫らしいのですが、見た目とは異なって結構美味かったんです。ジョクロは現地の人にとっては高価なものらしいけれど(この季節にならないと出てこないらしい)、かなりの好物らしく、それも分かるような気がしました。貴重なタンパク源だし、こっちの人に言わせればビタミンが豊富らしい(たぶん、それ以上にタンパク質が豊富なんだと思うけれど)。それにしても現地の人間は器用に片手でマニオクを団子状に握って、それにジョクロ(ジョクロを混ぜ込んだ汁物)に漬けてジョクロとマニオクを同時に口に運ぶ。右手だけでそれをするのです。現地の人に習って、手で食べようとするけれど、唾液からの様々な感染症(特にボクのような人間は抗体がないから発症してしまう危険性が高い、と思う)が心配で、ひとり違う皿に取り分けてもらって、ひっそりと現地人の食べ方にトライしました。が難しいものです。(現地の人々は同じ器に入れられたマニオク団子を分けて食べるから、他人の唾液をたっぷりと食べることになるんですね、これが・・・それが怖いから小分けにしてもらいました・・・)。1時間ほど、マニオクとジョクロとヨップルを楽しんで帰りました。研究所に戻ると大橋さんは早々に部屋に入ってしまいました。よっぽど疲れたのだろうと思う。仕事を切り上げても良いか、と言いだしたのもボクではなくて大橋さんだったしなぁ・・・。自分の興味があることと違う仕事をするというのは疲れるものだし、実際にサバンナは体力が、どこからともなく削り取られているところだからなぁ・・・。お疲れ様でした。それにしても、東屋と今年のチューブの現場には期待したいなぁ・・・。ザイケリンの夕食はマニオクの葉のペースト。マニオクの団子を食べてきたのに、またマニオクか・・・と思いつつも結局食べてしまった。食べ過ぎかなぁ・・・

東屋の屋根用に準備したヤシの葉です。
何枚かを束ねてありますが、長さは1枚の長さ。
そうとう葉が長いのがわかって頂けると思います。
僕自身は、もっと短いものと思っていたのですが・・・
葉の大きさから木々の大きさがわかりますよね・・・

夕方招待してもらったアンリの家。
まずはヨップル(ヤシ酒)で乾杯です。

写真のように、手でマニオクを練ったものをつかんで、丸めます。
そして、その団子を茶色の汁につけて食べるのです。
その作業は全て右手のみで行います。
真似をしようとしたのですが、難しいです・・・

ボクは、ちょっと勝手を言って別の皿に取り分けてもらいました。
唾液を付けながら団子を作るので、免疫がない人は感染症の心配があるからです。
実際に、それで具合が悪くなった人を見ていたので、ちょっとわがままを・・・

この写真のマニオクの練り物(白い餅状のもの)の上に映っている茶色の芋虫状のもの、これがジョクロという芋虫(毛虫?)です。その下にある身は魚(何の魚かは知りません・・・)

2007年9月4日(火)
AM6:00に目覚ましに強制的に起こされる。それでも目覚めきれずにウトウトしてしまった。。。AM6:23にあわててサロンに入り朝食を食べます。7:00にはピエールが来るはず。。。出る準備を整えて、何とか間に合わせて7時過ぎにボニファス、アンリ、ミッシェル、大橋さんとコリドーへと出ることができました・・・。昨日残した、ゲイブナの挿し木現場の調査があるのです。まずはセリンバラ-ニオン道の看板付近から河畔林沿いに挿し木を行った現場から仕事にかかる。朝はサバンナでも涼しいから、心地よく仕事ができます。それも思ったよりも成績が良いので尚更のことです。続けてプチジャルダン付近の現場に移動し、そこも調査。総数、1523本の挿し木が確認され、その中でも891本に芽が確認できました。今後も芽が出てくるものもあるだろうから期待したいですね。すでに葉が展開しつつあるものまであり、うれしい驚きの連続でした。10時過ぎには早いけれど仕事を終えて(全部の調査は終わったし)、ハンガー・ドゥ・ジャポンを覗いて帰ることにしました。ハンガーの中の(下の)ウワパカも、「え?動かされてたの?」という顔をして今までと変わらず元気にしていました。12時過ぎ、大橋さんは部屋でいびきをかいていて、ボクはお腹を減らし、一人でパスタを茹で始める。パスタが茹で上がるまでの間にキャベツとインゲンを準備して、フライパンにオイルサーディンのオイルをたらし、トウガラシとニンニクを入れて待つ。茹で上がったパスタをザルにあけて、フライパンを火にかける。ニンニクの香りが少し立ったところでキャベツとインゲンを火にかけて、程なくしてサーディンを入れ、最後にパスタを入れる。塩と少々の醤油を加えて簡単なペペロンチーノ風のパスタが出来あがる。一人分と思って200gのパスタを用意したが、結構多かった。。。それでも全部平らげてしまって、腹もふくらんで休む。(一人分のパスタって100gらしいですね。帰国してからカミさんに聞いてびっくり。食べ過ぎです・・・)。14時頃、ローラ県の知事がやって来て、IREB の会議室だか講義室だか分からないけれど、そこでクルマ所長の講釈を聞かされることになりました。IREB は普段何にもやっていないから、直前までバタバタと迎える準備をしていたようだけれど、そつなく知事を迎えたように見えました(本当にガタガタ、バタバタ音が聞こえてきたから笑えます)。クルマもコリドーに関して熱っぽく、いかにも熱心取り組んでいるかのように話していました。(実際にはそれほど熱心とは言えない仕事ぶりだと思うけれど・・・)。知事達の滞在はおそらくは1時間程度のものだったと思う。最後にはクルマ所長が我々を知事に紹介し、知事と握手をさせられて、彼らを見送ります。知事とはいえ、地方の知事。車はもちろんギニア乗りになっていました・・・。知事ですら、VIP乗りはできないのか・・・。その後改めて部屋で少しウトウト。夕方、ブナやセグミがやってきて、「ブナの防火帯にあるボランティアが草刈りを行った畑は、2haだと言っていたが実は3haあって、その分の植栽目印杭の追加料金が欲しい」といってきたらしい。今回のことでブナに対する不信感は相当高まっており、これに関しては断ることになった(どうせお金を渡しても毟(むし)って村人ともめるのが落ちかも知れない、という懸念があったのです・・・)。そして、さらに「セリンバラ-ニオン道の看板付近にはゲート(獣害防護柵)をつけたい」ということを言ってきた。「家畜はゲイブナの新芽が好きだから・・・」。そういわれると弱いのが今のボク達。今年の植林の望みは、成長が良かったUapaca とゲイブナしかないから・・・それは検討することとして帰ってもらいました。夕食までの間に水浴び。あまり遅くなると寒くなってしまうから・・・。夕食はカボチャとアグチ。で、出たぁ!ネズミです。。。ハリネズミのような太い毛が残ったままの肉が入っていたが、食べることとしました。少し匂いはあるものの、初めて食べたときほどの衝撃はなく、実際に匂は少なめで食べられないこともなく、食べてしまったのです。夜、メールを送受信してもらって、夕方に灯油を足して動き出した冷蔵庫(冷凍庫)から冷えたビールを取り出して飲みました。そして、この夜は星がとってもきれいに見えました。松沢先生が、「ボッソウから見る星空はきれいで、星がたくさん見えますから」という一言が、ようやく実感できた瞬間でした。(これまでは、乾季で空気が霞んでいたり、雨季で曇っていたりで、星が見える機会がなかったんですよね・・・)。

挿し木したゲイブナの状態。
早くも芽が出て、葉の形になりつつあります。
驚異的な成長の早さ・・・ただただ驚くばかりでした。

芽が出ているかどうか確認する作業を行うガイドのボニファスとアンリ。
一本一本丁寧に確認作業を行いました。

東屋の下に植栽したウアパカ。
ポットはそのままにしてみました。
ポットと言っても薄いビニールです。
この地のアリはこれくらいのビニールは簡単にかみ砕いてしまうようなので、自然になくなることを期待しての作業です。
また、下手にポットを取り除こうとすると、根を傷める心配があったので、そのまま植栽するということにしたのです。

少し離れたところからみると、こういう状態。
木々も涼しげでしょ?
すくすく育ってくれることを期待しています。

挿し木の状態の良さに乾杯、
そして、これからのウアパカの成長を期して乾杯、
といったところでしょうか・・・

2007年9月5日(水)
朝一番でゲインに登ってコリドーの全域を見渡すという予定もあって、AM6:00にはしっかりと起きた。しかし、あいにくの雨。6時半頃には案内役のセグミもすでに来ていたけれど、14:00からということに変更して、9時には大橋さんはチュオへと出かけました。昨日、ブナが言ってきたゲートの資材を探しに行ったのです。ンゼレコレで買っても良いけれど、ダウカ曰く、チュオにはリベリアからの流れモノが来るらしく、品質は良いらしいのです。10時頃にはチュオで買い付けた中古(というかリベリアの廃材)をランクルに載せて、ボクとダウカも一緒にローラへと向かいました。ローラで溶接してもらうために、溶接屋とダウカ&ピエールがもめにもめていたがなんとか案がまとまったらしく、足りない資材(異型棒鋼)をローラ内で探すことになったのです。しかし、思った以上にかなり高かったので、結局資材調達も溶接もンゼレコレですることになりました。あんなに時間をかけてもめていたのになぁ・・・。ンゼレコレに行くと、早速溶接屋にいって交渉。金属角材を枠にして、チュオで買った金網を張って扉にする、ということになったらしいのです。結構な高価なモノ(10万FGっていってたと思う)になったけれど、最終的にはそれでもいいか、と大橋さん。ピエールはハンドルがぶれるからハンドルアーム(タイヤの舵をとるアーム)のアブソーバー(衝撃吸収剤:ゴム)を交換したいと言うれど、ボクのみる限りハンドルがぶれるのは80~95km/hくらいのあたりで、それ以上の速度になるとハンドルのぶれは少なくなっている。要するにホイールバランスが狂っていると思ったので、「交換しなくても問題ない」と伝えてもらいました。ダウカに見張りをさせている間に、ボクと大橋さんは昼食に出かけました。シェ・アイダ。ここは初めてギニアに来たときに牛田先生とも来たことがあるレストランです。GOLOと同じく、鶏肉を頼んでしまうが(メニューがないと言われ、大橋さんと同じモノを頼んだ)、ここの鶏肉にはソースがかかっていて一ひねりあるのです。このソースでパンが食えるからなぁ・・・うれしいものです。鶏肉とフライドポテト(15,000FG)とSkol(5,000FG)を2本。それにしてもこっちにきてからよく飲むなぁ・・・。13時前にまた溶接屋に戻って様子を見ます。まだ、溶接には時間がかかりそうだったので、タイヤのパンク修理をしてもらうことにしました。もしかするとハンドルのぶれはこのパンクが要因だったかも知れないし・・・。チューブを新品に交換したというタイヤがパンクしているから怪しいと思って(実は交換していないのではないか、という疑い・・・)大橋さんとともにパンク修理屋に出向いて修理を見守る。中から出てきたチューブは新品で、初めての穴のようだった(ローラで空気圧が低いからと空気を入れてもらった(2,000FG)にもかかわらず、ンゼレコレについたときには空気が抜けていたので、疑ってしまったのだ)。修理をしてもらって、残りの2輪分のチューブを買いに行って、またパンク修理屋に戻り、チューブを交換して空気を入れてもらう。タイヤをとめている金属を金槌でガンガン殴って外し、中からチューブを出して、自転車のパンク修理の要領でパッチを張って直すのです。子供にも技術継承するためか、子供が一部の作業を手伝う。こっちでは手に職を付けるというのはとても重要になるので、学校で勉強するよりも仕事を手伝わせることが多いように思います。でも、地道だけれど勉強しておいた方がいいような気もしますけどね・・・。無事に交換が終わり、溶接屋に行くと、ピエールがしつこくアブソーバーを変えたい、と言ってきたのです。確認するとすでに純正品ではなく、ギニア部品になっているし、ピエールがどうしてもと言うから交換することにしたのです。タイヤを外し、ローターとアームを外す段になって、大きな金槌でガンガンと殴りだしたのです。一瞬にして血の気が引く。。。「あぁ・・・・、壊すつもりか???。。。。」と独り言のようにつぶやくと、その気配に気付いたダウカが「ドゥスマン、ドゥスマン!!!!(ゆっくり、ゆっくり!!!!)」と叫んでいました。ボクも一緒に叫ぶ。作業員は一瞬こちらを見て、また殴り出す。また叫ぶ。何とか少しの変形(影響がないであろう範囲)でアームとローターが外れ、左前輪のアブソーバーの交換が終わる。そして、ホッと一息・・・。そして、右前輪でも同じことが行われる。。。ボクはまた叫ぶ・・・。冷や汗が出る。修理屋が壊している・・・。修理というか乱暴な部品交換が終わったのは16時40分を過ぎていた。もう、今日はコリドーを眺めるのは無理です。セグミ、ゴメンなさい。それから市場に行って換金、そして牛肉を買ってランクルに戻る。戻るとピエールもダウカもいないので、スーパーマーケットでコーラと野菜ジュースを買って飲んで待つことにました。いずれも7,500FGとかなり高い・・・ビールよりも高いじゃないか!!。しばらくするとダウカがやって来て、スーパーでボク達が普段使っている陶器のカップを買ってきた(7,500FG)。かなり彼らにとっては高価なモノだと思うけれど、かなりうれしそうです。見ていて欲しくなったのだろうなぁ・・・。ピエールも程なく帰ってきて、帰路につきました。結局、ハンドルのぶれは全く直って居らず・・・やっぱりホイールバランスか・・・。だからアブソーバーなんて交換しなくても良かったのに・・・と不毛な後悔をする。ローラで赤ワインを買って、帰ろうとするが、ダウカがビールを飲みたいというのでおごることにしました。冷えたビールを飲む機会なんて滅多にないはずだから・・・。夕食時には牛肉の一部を焼いて食べることにしました。牛の味はするが、かなりの堅さで食べるには骨が折れました・・・。本当に歯が折れるんじゃないかと思うくらいの堅さで、ひとかけら食べるとアゴが怠くなってしまうくらいでした。残りは煮込んでしまうこととして、大橋さんが調理していました。23時頃に部屋に入って休みました。

2007年9月6日(木)
AM6:00から朝食。AM6:30からチンパンジーを観にでかけようとするがまた雨。雨季だから仕方ないけれど・・・。コーヒーを一杯飲んでからAM6:50に出かけました。歩いて程なくムサンガ(樹の名前)で休んでいるチンパンジー一群に出くわす。しばらく観ているが、チンパンジーも雨のために(寒いから)ほとんど動かずじっとしていました。しばらくすると一人のチンパンジーが移動を始める。と、その後を追うように他のチンパンジーも移動を始めました。フォアフ(オス)はオレンジの木に登ってオレンジを食べ出す。しばらくすると大橋さんからの無線が入り、近くでシダの根を食べているチンパンジーがいると聞かされ移動。しばらくそれを観る。
少し水気の多い沼のような所に生えるシダを一所懸命に引っ張って、根を引き出してはその泥まみれの根を食う。熱心に食う。時にはうまく掘り出せずに、口を泥の穴の中に突っ込んで、顔中を泥だらけにして根を食う。他に食べるものはたくさんあるだろうに、美味いのか、必死に食う。その後、また移動。草本の植物の髄の部分を食べたりしながらの移動。そして、また別のムサンガの所に居着いて、ネスト(寝床)を作り出す(このときネストを作るのはメスだけ)。ガイド達もネストを作って昼寝の準備を始める。雨は上がって、徐々に日が当たり始め、そよ風が吹き、チンパンジーは気持ちよさそうに眠っている。それを観ているボクも気持ちよくなり、しばしウトウトする。目覚めてからはオレンジに移動してまた王様食いを始める。本当においしいところだけを、ほんの少し食べては捨てる、という贅沢極まりない食べ方です。そこで、ボクは帰ることにしました。14時前に研究所に戻って昼食。これまでの記録をまとめようとしたのですが17時まで寝てしまう。。。夕方ピエールが来て、昨日取り替えたタイヤチューブの古いモノが欲しいといってきました。しかし、帰路にどんなトラブルがあるか分からないから、1つは確保して1つだけあげる、ということにしました。それから、ブナに新しい自転車をあげたのだったら、古いモノが欲しいというのです。それは問題ないだろうから、と大橋さん。明日の朝にブナに持ってくるように言うから、といって帰ってもらうことになりました。その後、夕食を食べると程なくしておとなしく寝ることにしました。たまには早く寝ないとね・・・

気持ちよさそうに昼寝するチンパンジー。
見ているこっちまで気持ちよくなります・・・

2007年9月7日(金)
AM6:34に目覚める。6時には起きているつもりが目覚ましに気付かなかったようです。。。8時の出発に備えて雑炊を作って食べます。雑炊と言ってもタマネギと米をマギーブイヨンで煮込んだだけのもの。朝早くから、ブナの騒がしい声が聞こえる。。。大橋さんは昨日のピエールの要求もあったし、ブナに古い自転車を返すように言うと、「オレのものじゃないか!!」という感じで切れてしまったらしい。オレのものって。。。KUPRI がコリドーの監視用に与えたもので、新しく自転車を与えられて、古いものを返せといわれれば返すのが、日本では、普通です。どうしてそんなに「
がめつい」のか・・・ブナはもうダメだ。。。去年まではそんな奴じゃなかったのに・・・。AM8:00、セリンバラ-ニオン道のコリドー看板近くの橋に家畜よけのゲートを設置するために出かける。到着すると早速作業に取りかかる。設置している人間以外には草刈りをしてもらったりする。草を根から刈ってもらって、それを使って道路補修も同時に行う。あっちこっちくぼみができているから、それを埋めるのです。11時頃までには設置が完了する。なかなか立派なものです。それから研究所に戻る。研究所に戻って昼飯でも作るか・・・と思っていたらガスコンロがふさがっている。何かと思ったら竹元さんが米を炊いているらしいのです。大橋さんが作らせた小屋で火を使おうとするとダウカの家族かIREB 関係者の家族か分からないけれど、料理をしたりして占領されている。竹元さんは「あの小屋はKUPRI が作ったんだから、あれは良くないよ」というと「料理が終わったらすぐに退くから」というのでしばらく様子を見ることにしました。しかし、大量のマニオクの皮をむいているじゃないですか。皮をむくだけであと30分以上はかかりそう。。。それを煮炊きしようというのだから、それではボク達の昼休みは終わってしまう。可哀相だけれど場所を空けてもらうことにしました。そして、料理をしようと思ったけれど、竹元さんの炊いた米は3人分くらいはあると言うことだったので、水曜日の晩から炊いている牛肉を火にかけることにする。要するに、ボクは特に用事はなかったということになるわけで、小屋を占領していた彼女ら、彼らには申し訳ないことをしたと思いつつ・・・でも甘やかすときりがないのがこっちの人なのだから、と自分に言い聞かせる。でも、実際そうだし・・・。ボク達は竹元さんの炊いてくれた米を食べました。米自体の味は古いから仕方ないにしても粘りけのある日本人好みの炊き方になっていました。こっちの人が炊く(というよりも米を煮ると言った方が適切である)米はどうしてあんなに味気ないのかと思ってしまうけれどが、文化の違いだろうから仕方ないか・・・。小屋のいすが壊れていたので修理して、そこで少し休むけれど、ヤシの葉の軸で作ったいすが硬くて、痩せたボクの体にはごつごつして痛かったので部屋に入って休むことに・・・こっちにきて、さらに痩せたのかなぁ・・・14時まで休んでからゲイン山に登ります。ゲインからのコリドーの眺めはどんなものか・・・セグミがコリドーを見渡せるという場所を準備していてくれたのです。本来は水曜日に行くつもりが行けなかったから・・・。少し高さは足りないような感じだったけれど、コリドーは確かに見渡せました。ボクと大橋さんが作ったハンガー・ドゥ・ジャポンも微かではあるものの見える(ような気がする)。ガイド達は自信満々に「見えるよ」と言うけれど・・・彼らの目を通してものを観てみたいものです。全く、どんな目をしているのか・・・と思います。カメラの望遠レンズでみたって微妙にしか分からないのに・・・。写真をひとしきり撮ると帰る。帰ってから尾の長い鳥が研究所の周りを飛び回っています。さかりの時期のようでメスにアピールをしているようです・・・。そこで、その鳥を撮ろう必死でファインダー越しに鳥を追う。しかし、中途半端な望遠レンズしか持ってきていなかったし、なかなかきれいに写真を撮るのは難しかった。近くまでやって来たか・・・と思った頃には徐々に暗くなってきてシャッタースピードが上げられず諦めてしまいました。その後、お湯浴び。19時半頃から夕食。夕食の時間の頃にアンリの奥さんがやって来て、ほとんどものも言わずに座っています。フランス語が話せないから、困っているようです。どうして一人で来たのだろう・・・?ダウカに通訳をしてもらうと、手紙を持っているというので出してもらうと、個人的な、と言うよりも家庭の問題についての相談だったようです。それはアンリと相談して決めることだと竹元さんと大橋さんが説くととりあえず帰っていきました。実にいろいろな人がいろいろな問題を抱えて、というよりも作ってやってくるものだ・・・。21時過ぎには、新しい訪問者を避けるようにして眠ることにしました。

ゲート設置前のセリンバラ-ニオン道途中にある橋。
ここに家畜が入ってこられないようにゲートを付けます。

まずは、ゲートを仮に立てて、支柱を設置します。

かけや(木槌)があるのに、こっちの方がいいのか・・・
木の棒で杭を打ち付けます。

ゲートの両端には柵を付けます。

柵を作るためのヒモは、木の根を引き裂いて作っていました。

上の写真で作ったヒモで柵を作り上げていきます。

看板を書いて・・・

苦労して作り上げた柵とゲート。
完成です。

このゲートのすぐ近くに挿し木したセイバー。
この木はとっても大きくなるらしく、期待しています。
この挿し木は、どこかで邪魔になったからか、伐採されていた長さ1メートルほどもある丸太のようなものでした。
それでもちゃんと芽吹いてくるんですね・・・

柵を作っている途中、挿し木の周りに生えていた草も引き抜いてもらいました。
その根をつかって道路の陥没部分を補修。
一石二鳥をねらって・・・

夕方からゲインに登ってコリドーの遠景を観に行きました。
写真の中央からやや右寄りに少し茶色くみえる部分がIREBが植栽した10haの植栽地。
この中にあの東屋もあるはず・・・

10haの植栽地の拡大写真。
200mmレンズ(デジカメ換算で300mm相当)で撮影。
これでも、東屋は見えるような見えないような・・・
それでも、ガイド達は「見える」と自信満々・・・
彼らの目を通して見るとどういう見え方なんでしょうか・・・

チンパンジーがナッツを割るために使っていた石。
使いやすい石同士を組み合わせて使うそうです。
ナッツの殻が残っているのがリアルでしょ・・・

研究所の周辺を飛び回っていた鳥。
盛の時期だったのか、しきりにメスにアピールを繰り返していました。

2007年9月8日(土)
目覚ましで起きられずにAM6:03にサロン入り。ここのところ、というよりもこっちに来て基本的にはずっと、夜中の3時頃になると必ずといっていいほどトイレに起きる・・・。やっぱりメフロキンの副作用なのかなぁ・・・。やや寝不足気味になっています・・・。急いで朝食を食べて6時半の出発を目指す。しかし、直前になって腹の調子が。。。久々の下痢です。重症ではないにしてもこのままでは作業に支障がでる。正露丸を飲み、歩いてコリドーに行くのを諦めて、ボニファスにピエールを呼びに行ってもらいました。7時過ぎにダウカの家族を乗せてランクルでコリドーへ向かったのでした。今年チューブを設置した現場で樹高を測定するのだ。ボニファスに樹高測定の手順を伝えて調査開始。ボクの拙いフランス語を何とか理解して、事を進めようとしてくれるボニファスにとても、とても感謝。11時頃に、思ったよりもかなり早くに調査は終了。思えば、去年、最終日にアレクシーと一緒にほぼ同数のチューブ内の樹高の測定を行ったが、もっと時間はかかったし、調査内容は樹高のみにとどまった・・・。今年は、苗木の状態までも、大まかではあるけれど、記録して、挙げ句にはチューブの中に入り込んだシロアリも除去したのだ。そのことを思うと、ガイド達の優秀さが身にしみて分かります。今年初めて、ガイド達とまともに一緒に仕事をともにしたが本当に彼らは優秀である。IREBの連中もあれくらい働いてくれたらもっとコリドー計画は進んでいるのではないかと思ってしまう・・・。昼にはラーメンを食べるが、食べ終わって程なくして竹元さんが戻ってきて、スープパスタを作る。「食べませんか?」の一言に思いっきり甘えて頂く。食べられるときに食べておかないと・・・。その後は今日の調査のデータ入力に勤しむ。データの入力が終わると洗濯に時間をあてる。地下足袋を洗い、脛(すね)当てを洗い、下着とタオルを洗って雨季とは思えない強い陽射しに洗濯の終わったものを曝す。16時過ぎだろうか・・・大橋さんが調査から戻り、「ビール飲みませんか?」の誘惑に負けて日の高い内から贅沢をします。ビールを飲みながらコリドーの話をして、
日が傾く頃に洗濯物を取り入れる。雨季とはいえ、こっちの陽射しはやっぱり強いようで、短時間ですっかり乾いてしまう。洗濯物を取り入れると、雨が降り出す。その雨が18:40頃に急激に、轟音とともに強まって周りを音と暗闇で包み込もうとするのです。竹元さんはその豪雨に打たれてからの帰りとなったのでした。お疲れ様でした・・・。夕食を終えると大橋さんは早々に床につき、疲れているだろう竹元さんとは23時頃までコリドーの話をしてしまったのでした・・・ごめんなさい。

2007年9月9日(日)
AM5:45に目覚ましが鳴るが、しばらくゴロゴロする頃にして6時半頃にサロンに入る。今日は報告書を作り出すということにして、
基本的には出ないことにしました。朝食を食べずに、大橋さんが入れてくれたコーヒーを飲む。竹元さんと大橋さんが調査に出た後は、報告書を作り出します。少しでも記憶が新しい内にと思って書き出すが、どのようにまとめたらいいものか・・・と思いながら書いているとなかなか筆が進まない。11時頃に遅めの朝食を食べて、帰ってきた大橋さんを残して、我々日本人3人の記念植栽用にと準備していた苗の様子を見に行きました。セイバー以外の木々は3本とも枯れていたのです。。。やはり直根を、それも側根をほとんどもたない太い直根を切ったから厳しかったのでしょう・・・。雨季だから何とかなるかも・・・という甘い期待は簡単に打ち砕かれちゃいました。やはり、コリドー計画で使用されている苗も、いくつかはパイオニアの種類が入っているようだけれど、それらは今回枯らしてしまった苗木と同じように、側根をあまり持たずに直根を伸ばすものが多いと思われるので、移植したときにはすでにかなり弱ってしまっているものと思われるのです。難しいものです・・・。とぼとぼと研究所に戻ってその旨を大橋さんに伝えました。(お恥ずかしい・・・)。その後、大橋さんは少し休むと言って部屋に入っていきました。14時前にボニファスとパキレがやってきました。竹元さんとここで落ち合うのだと言ってサロンでひとしきりくつろいでいる。そのとき、パキレは電子辞書にひどく興味を示し(ボニファスが、あれが辞書なんだぜ、みたいなことをいったから)「いくらするんだ?」とたずねてくる。「高いよ、日本円で4万円くらいはするから、ギニアフランだと相当高いよ」というと計算を始め、「来年こっちに来たらボクのために買ってきてくれ。お金は払うから」とか言っています。お金を貯めることがとても苦手な彼らにそんな大金を貯蓄できるはずがなく、また仮に貯蓄できたとしても日本人向けに作られた電子辞書が彼らにはとても使い勝手が良いとは言えないので、「来年来られるかどうかはわかないから」と適当にお茶を濁しました。ボニファスは発電機がどうのこうのとか言っているが・・・どうしてそんなにものを欲しがるのか・・・普段使いもしないのに。。。使うとしても発電機なんて維持費(ガソリン代)がとても払えないはずなのです。ガソリン1リットルの金額は彼らの日給の半分くらいするのだから・・・。ボクが無理をして家を買ってローンをかかえて、意味もなく高級車に乗って、その維持費が払えないからと借金をするようなものです。14時過ぎに彼らは、「外で待ってるよ」といって外に出ていきます。ボクは遅めの昼食の準備にかかる。簡単なものしかできないけれど・・・オイルサーディンのペペロンチーノ。キャベツを切るのを忘れていたのです・・・。できあがった頃に大橋さんが目覚めてくる。もう少し多めに作ったら良かったとは思ったけれど、一人分にしてはやや多めに作っておいたので二人で食べることにしました。16時、コリドーにシロアリの薬を撒くのと、ブナ(マノン語でそういう名前の樹があるのです)のタネを散布する予定にしていたのでジルが来てくれるが、暑いし、薬を撒くのには抵抗が少しあるし、タネを播くくらいなら明日だけでも十分だし・・・ジルには悪いけれど、今日は仕事なし、ということで帰ってもらいました。しばらくするとブナ(人間)がまたやってきて、「米が欲しい」と言ってきました。「米はもうあげただろう」と大橋さんが言うと「タチアナは3回もくれたんだから、追加をくれ」という要求をしてきたらしいのです。タチアナは、個人的なCadeau(プレゼント)であるので、今後、他の研究者に要求してはならない、という文面にブナにサインをさせたらしいのですが・・・(そしてその文面は実際に残っていました)。それを大橋さんが主張すると例によって、そんなことはないと言わんばかりに切れて、大橋さんをののしって帰っていきました。1回は米をもらったのに、その恩人に罵声を浴びせるとは・・・。ブナは変わってしまった。。。本当にダメな人間になったと思う。まじめで優しい人間だったのになぁ・・・。それから片づけと帰りの準備を徐々に進める。夕方、竹元さんは「デジタルカメラが壊れた。。。」といってがっかりし、直るかもという期待を込めて、カメラを干していました。昨日の豪雨の中、カメラを濡らしてしまったらしいのです。今はプレミアムがついているからか、中古でも値段が落ちない(というよりも上がっている)ミノルタのSweet デジタル。乾いて直ればいいのだけれど・・・。18時半頃、アンリがやってきて竹元さんにデータを渡して(我々の滞在期間中、毎日17:30に気温と風速のデータをとっていた)、大橋さんに交渉ごとをしていました。家の壁などに使うコンクリートを注文してしまったが、そのお金を援助して欲しい、というのです。「お金はもうないよ。これ以上払うと僕たちが帰れなくなってしまう」と大橋さんは断る。多少の援助はこれまでもしてきたらしいけれど、完全に援助を頼りに家を建てるなんて・・・。そんなことをする前に貯金しろよなぁ。。。18時半頃にはギニア人学生がやって来て、チューブの関連の資料が欲しいといってくる。プリントアウトしたものが見つからないので、CD-RW に焼き付けるだのDVD に焼き付けるだのするなど(これがなかなかすんなり行かなかった・・・)して30分ほどを費やして、ようやく彼にデータを渡すことができました。卒論か何かに使うらしいけれど・・・。夜には運転手のスワがやってきて、「娘がモンロビアに行くのだけれど援助して欲しい」と言うのです。彼はIREB 側の人間だし、そんなことはできない(そんなことをするときりがなくなってしまう)といって帰ってもらいました。また、夕食を持ってきたザイケリンも援助して欲しいといってくる。彼女の母のニョンコは、昔からの付き合いで、多くの人が助けてもらったと言うこともあり援助することとなったようです。しかし、何かと援助援助と大変で、またこっちのひとは完全にそれを当てにしている。これではアフリカは立ち上がれないな、と思ってしまう。自分たちで何とかしようと言う気持ちがないのだ。仕方も知らないのだろう。援助のあり方の難しさを、今回の滞在では痛いまでに感じたのでした・・・それにしても、もう帰る、ということが分かると、援助を求めてやってくる人たちが急激に増えるので大変です。。。

2007年9月10日(月)
クルマがランクルを使うというので、我々が今日ランクルを使える時間はまたも限られました。最終日くらい少しはゆっくりしても・・・とも思ったのだけれど7時頃から出られるように準備。竹元さん、大橋さんとボクの3人がここへ来たという記念を残すために、苗木として準備していたセイバーを植栽しに行くのです。7時半頃からピエールの運転するランクルにボニファスとアンリを乗せて、セイバーを道途中でピックアップしてからコリドーへ向かいます。まずはプチジャルダン付近まで行く。ゲイブナの挿し木の状況がどうしても気になるので、まずはそれらの状況を確認します。今年の目玉ですからね・・・。すでに出てきた目の一部は葉っぱらしき形になっているじゃないですか。それも1個2個というレベルではなく、結構な数がそのような状態になりつつあるのです。また、調査時には芽が出ていなかったものも芽が出てきているので、ここには十分に期待したいですね。とても気分良く、最終日を迎えられる予感・・・。そして、そのプチジャルダンの看板と、パキレの森の間あたりにセイバーを1本植栽。この木は大きくなると相当な大きさになるらしく、堂々とした樹に育って欲しいものです。1本でも、ボク達が自ら植えた樹が育ってくれることを強く望みます。それからブナの種子を散布。まるで節分の豆まきのように撒きまくる。このブナも結構な大きさの木になるらしく、しかも今のところサバンナには1本も観られないのです。1本でもブナがサバンナに現れたらタネを播いたお陰だということです。これも自信になりますね。同じく期待。これも是非とも1本でも良いから大きく育って欲しいものです。そして、ハンガー・ドゥ・ジャポン(東屋)に移動。その移動中もブナの種子を散布しつつ・・・東屋に到着すると1週間以上経過しているにもかかわらず、ウワパカは極めて順調である。何食わぬ顔をしているのです。これに対して、IREB の植栽した木々(苗木)は、植栽直後はとてもよく見えたのだけれど、日に日に弱っていき、1週間後には多くが枯れ、残るものも葉を落とし、萎れてしまっていたのでした。今後、何とか生き残ったものが芽を出して葉を展開するという状況を待つしかないのです。それと比べると雲泥の差。葉の一枚も落としていない。傷んですらいない。樹を植えて、上手く根付かせる最大のポイントは、「いかにして苗木を騙すか」という点にある。(もちろん、植える場所が根本的にその木が生きていける環境である必要があるけれど)植え替えられたということを樹に気付かせなければいいのである。だから、タネから発芽したものが一番良いし、それに越したことはない。苗木を植える場合にはまずはポット苗のように根をいじらずに植え替えられるものが良い。そして、日照条件、温度条件、水分条件をできるだけもともとあった場所と変わらないようにしておく。あとは徐々に環境が変化する分には木々は十分に対応してくれる。そういった状況をいかにして作るか・・・そういうことを考えて植栽を行い、管理を行えばコリドー計画もきっと上手くいくはずです。そういうことをできる限り、馬鹿げているかも知れないけれど考えてみた結果の東屋3棟の作成だったというわけなのです。それが今のところ項をなしているというのは本当にうれしいことでした。3棟の内、真ん中の東屋の下にセイバーを植栽しました。これも是非とも育って欲しいものです。最後にニオンゲートの付近を確認してから9時半過ぎくらいに研究所に戻ったのでした。アンリが少し怪我をしていたので消毒薬を渡して、消毒するように言う。帰ってから早速、大橋さんはボランティアで草刈りをした(そこを畑にして、木々の植栽もボランティアで行うが、樹を植える場所をマーキングする杭の分だけはお金を払うという約束をしていた)女性がふたりやって来ていて、交渉することに・・・。IREB には1haあたり5万FG支払っているらしいけれど、彼女たちには2.5万FG/haというはなしをしているらしい。きっとこれまでも1haあたりのマーキングには実際に2.5万FGしか必要なかったのだろうと思う。間にはいってマージンを取っていたのだと思う。マージンを取っても良いけれど、そのぶん結果には責任を持って欲しいものだ・・・全く・・・。で、結局彼女たちには御礼を含めてそれぞれ3万FGのお金が支払われたのでした。それから部屋の掃除と荷物のパッキングをしてしまう。ダウカにTシャツとシャツを渡す。12時過ぎに昼食を食べ、13時過ぎにはガイド達がやってくる。現在、違う仕事をしているマルセルと、親戚関係の女性が割礼(未だにこのような風習が残っているのは問題だと思うけれど)の儀式があるとかでアンリは来なかった。竹元さんが、研究者がいない間の仕事の割り振りとその分の給料の前払いを行っていました。そして彼らには16時半頃にまた来るように伝える。それまでは片づけの続きと休憩。16時半すこし前にはパスカルとジルが来ていた。パスカルが結婚に関してのお金について竹元さんと相談している間に、ジルが「Cadeau(キャドー:プレゼントという意味)が欲しい」と言ってくるのです。今回も(いつもと変わらず)必要なもの以外はほとんど持ってきていなかったので、どうしようか迷ったけれど、カップをあげることに・・・。自分からプレゼントを要求するあたりがこちら風、といったところでしょうか。それでも、ジルは恥ずかしそうに「メルシー」と言っていました。期待していなかった分、上気したのか、「少し暑い・・・」といって外にしばらくいました(外でしっかりカップを洗ってポケットに入れたようだったけれど・・・)。しばらくすると運転手のピエール、ボニファスが来る。「もうパルカルとジルは来ているよ」といってふたりをサロンに招く。ダウカとギニア人の学生がやってきてささやかにビールで飲み会を始める。みんな和やかに歓談し、途中からダウカの息子(ジャンクロード27歳、コナクリで大学に通っている)も参加。しばらく楽しい時間を過ごしていたが、そこにブナがやってきたのです。ほんのしばらくしてイバも来てコリドーの仕事に関してのはなしになる。IREB は結局大したこともやっていないのに要求ばかりが大きくなっている。ガイド達も今回のコリドーの仕事でそれを肌身に感じていた。しばらくブナが言いたいように言っていたし、イバが偉そうに言いたいこと言っていたけれど、しかし、ブナはそうとう不満があるらしく大声で(もともと声がでかいのだけれど)なにやら文句を言っているのです。我慢の限界にあったガイド達がめいめいにブナの今回の問題について指摘し、仕事とは・・・みたいなことを言っていた(と思う)。イバはガイド達の発言をとめようとするがガイド達は黙っていられない。竹元さんと大橋さんが、「今年の植栽分と今後の予定(植え替えをするからチューブを被せようというようなことを行っていたと思う)に関しては、もうすぐに乾季がはじまりそうだし、時期が良くないし今後のことは松沢先生が来てから決めてもらおう」といって引き下がってもらおうとする。イバが帰った後もしばらく残っていたブナもガイド達に責め立てられたからか、「どうせオレはこの場にも呼んでもらっていなからな!!」みたいなことを言って拗ねて帰っていきました。呼んでもらえないようなことばかりしているからだよ・・・。自業自得である。彼らが帰ると、飲み会再会。ピエールは酔ったからと一足先に帰っていきました。帰りがけに1枚だけTシャツを渡した。飲み会の途中に、大橋さん達はガイドにお土産を渡していました。ボクも、ボニファスにシャツを渡す。パスカルはセリンバラの新妻の元へといそいそと。しばらくするとギニア人学生が「カッパが欲しい。プレゼントしてくれ」と言ってくるが、あのカッパは職場から支給されたものであげることはできない、と何と伝える。「でも欲しい」と駄々をこねるが、無理なものは無理。「雨の中では仕事ができないよ」と言っているが、準備してこない方が悪いし、自分で買ってください。。。ダウカは5本指ソックスを欲しいというので、ま、大した要求でもないのであげることにしました(って、こっちの人は靴下なんて履くのか?)。盛り上がってくると、ダウカは「シェフの竹元が教授になるように!!」とか「グランパトロンの大橋が来年にはドクターをとっているように!!」とか「パトロンではないけれど、コリドーのためにやってきた長谷川の健康のために!!」みたいなことを言ってお礼を言う。飲み会の最後には、これまたダウカが音頭をとって、例によってマノン語の感謝の挨拶「バリカ、バリカ」。しばらくすると、パキレが遅れてやって来て、ビールの空き瓶をみて「ビールが必要だ!!」とわめいている。目が据わっている。すでに飲んできたな・・・結構酒癖が悪く、しつこく「ビール!」「ビール!」と言っていました。完全に酔っぱらいである。そして、今住んでいる「メゾン・ド・KUPRI」(今の研究所の建物ができる前に杉山先生や松沢先生が拠点としていた初代ボッソウKUPRI 研究所)の屋根が傷んでいるので、トタン屋根を2枚援助して欲しい、と言ってくる。しかし、杉山先生と松沢先生はいつ今の建物から出て行くことになるか分からない(日本側の援助で建てた建物だけれど、あくまでもギニアへの援助として建てたもので、今は借りているという立場にある)ので、「メゾン・ド・KUPRI」はKUPRI の持ち物である、ということをはっきりとさせたいらしい。そのために、そこに住んでいるものからは家賃を取るということにして、維持管理をKUPRI が行うという形にしたいらしいのです。ややこしい問題がある状況の中、パキレの主張は難しいもので(援助しなくて、建物が壊れる可能性もあるし、パキレに対する援助ではなく、我々の建物であるからそれを修理するだけだ、と言ってもこっちの人には理解できない可能性が高いから(だって住んでいるのは自分だし、みたいな感覚である・・・)竹元さんと大橋さんは悩む。しかし、結局大橋さんは、援助することとしたらしいのです。難しいもんですね~。でも、建物が壊れてしまっては元も子もないから・・・ということらしいのです。かなり酔っているので、お金の受け渡しは明日の朝と言うことにして帰ってもらいました。それから夕食を食べて、9時過ぎ頃か、クルマがやっと帰ってきました。道路の状況があんまり良くなかったらしいのです。嫌な知らせ。。。給料の受け渡しに来なかったセグミはクルマにつき合わされてか、一緒に出かけていたらしいのです。今後の予定をはなし、給料を支払う。それからは片付けをすませて、竹元さんとゆっくりと飲む。コリドーのことについて、松沢先生に適切なアドバイスを是非してくださいと念を押されました。はい、頑張ります・・・

この日、朝起きると霧が立ちこめていました。
もう乾季はそこまで来ているという感じがします。

ブナの木のタネを播くピエール。
サバンナにはブナの木はないので、生えてきたら種まきの成果です。

我々日本人が来たという記念のためにと植えたセイバー。
大きくなって欲しいものです。

最後の晩餐?
今夜がボッソウ最後の夜です。

2007年9月11日(火)
今日はいよいよボッソウを発つ日です。7時の出発予定。昨日給料の受け渡しに来られなかったアンリがやってくる。アンリには水筒をプレゼントすることにしました。他のガイド達も徐々に見送りにやってくる。出る前にクルマ所長に挨拶しておいた方がいいとダウカが言う。クルマ所長は、今回はボッソウに残るのです。確かにダウカの言う通りだ、挨拶したがいい。クルマ所長に挨拶に行く。すると「スワにオルデル・ド・ミッションが必要だ」と言うのです。スワとダウカがイバを捜しに出かける。昨日の内に準備しておいてくれれば時間の節約になったのに・・・。イバは結局見つからなかったのか、クルマが手書きで作ってくれました(最初から自分で作ってくれてもいいのに・・・)。AM7:42に出発となりました。「またね」といってみんなと別れました(またね?・・・)。ローラで換金をするAM8:23。多分、ンゼレコレの方がレートはいいのだろうけれど、町の中に入っていくとまた時間を食うから・・・。100USD以上だと4,400FG/USD らしいけれど、50USD でしかも10 ドル紙幣とかが混じっているのでレートが下がった(50USD→210,000FG)。AM9:00にはンゼレコレに到着し、給油する。ガゾワール(軽油)4,300FG/l。10:25にYirie。11:29マシェンタ。12:48ボホソウ。13:26ゲケドゥ。Ziama という森林地帯あたりから悪路でペースが落ちる。15:10にようやくキシドゥグゥ。少し迷うが15:30にホテル・サバンナに着いて遅めの昼食。相変わらずの鶏肉とSkol を2本。50,000FG。徐々に物価上昇を感じます。18:16ファラナを通過。スワに「大丈夫?」と尋ねると大丈夫だという。当初の目的地であるマムーまで行くことにする。このあたりから暗くなり出して視界は悪くなる。これまでと比べると道は良いけれど、それでもところどころ舗装がはがれて穴があったり、舗装がなくなってぬかるんでいたりと走りづらいことには変わりない。大変な道のりです。運転手のスワも結構な年だし、心配だなぁ・・・21:30にやっとマムーのホテル、SALY’S HOTEL に着く。ここは80,000FG/泊。ダブルベッドがあり、6人くらいは座れそうなテーブルセットが置いてある。シャワーもあるし建物もまだ新しく、結構良いホテルです。ただ、シャワーはまだ水だし、ちょろちょろとしかでない。ま、このあたりは仕方のないことである。夕食は敷地内にBar のようなものがあるのでそこで牛フィレとハイネケン2本。55,000FG 程度。0:30に寝てしまいました。

道中の車窓から・・・
まるで岩の塊のような山。
表面には地衣類しか生えていないようです。
登るのも大変そうな山です。
(大橋さんは「登りたいなぁ」と・・・)
きっと、この山も昔は木々に覆われていたと思われますが・・・

この山にはまだ少し木があるようです。
といっても大きな木はヤシの木くらい。
雨季の激しい降雨で表土が流され、木々が枯れ、草も生えなくなると上の写真のような山に変わっていくのではないか・・・と心配してしまいます。

ゲケドゥの町。昨年のゼネストの時には銃弾が飛び交っていたとか・・・
町の家々の壁にはまた弾痕がみられました。
それでももう町は活気にあふれていました。

やっぱり雨季は道路が荒れています。
ぬかるんで滑る、道路の陥没が激しく走りづらい・・・
こういう道を数百㎞走るのですから大変です。

この日宿泊したサリーズ・ホテル。
ちょっとしたスイートルームのようでした。

2007年9月12日(水)
AM6:25に起きて、顔を洗い、7時前に朝食に出る。フランスパンとジャム(とても甘かった)、チーズ1ピース。そして、ネスカフェ(インスタント)。これで10,000FG。ちょっと高い気がするけれど、日本円で考えると300 円弱か・・・。安いな・・・。それでもここまでの感覚で言えばかなりの高値だなぁ・・・。食事が終わると部屋に戻って8時の出発に備えるが、スワが少し遅れてくる。チェックアウトして8:17に出発。10:35キンディア。12:06コヤー。12:45に渋滞を抜けて、コナクリ入口の検問(バラージュ)(国道1号線の36km地点)を通過。検問とはいえ、今回は何のチェックもなし。13:50にMARIADOR PALACEについてチェックイン。一泊120USD 程度。高いです。。。14:25ベトナム料理、Hanôi(ハノイ)。昼食後、本屋によってからホテルに戻った。風呂に浸かって、汚れを落とす。本当に汚れているのです。洗濯もしておく。Tシャツなどを浸け置き洗いするけれど、しばらくするとお湯が茶色く色づくほどに汚れているのです。汚い・・・。20時からホテルのレストランで食事。Sole(シタビラメ) とサラダ、ビールとワイン。3人で315,000FG。
コナクリはやっぱり高いです。部屋の電球が1つ1つと切れていって、夜には風呂と、部屋電球は1つしか点かなくなっていた・・・高級ホテルなのに。。。明日には全部の電気が点かないとかいう状態にならないだろうなぁ・・・不安。

道中の車窓から・・・
建築中の建物を発見。
足場が歪んでいるにもかかわらず、建物はわりとまっすぐ建つのです。それが不思議・・・

キンディア付近で見つけた苗木屋さん。
けっこう良い苗があるじゃないですか・・・
ボッソウの苗木もこれくらいの状態だったらなぁ・・・

コヤーの町の風景。
のんびりとした感じで、木々が多い。
ほかの町もこれくらい木々があればもっと涼しげなのに、と思ってしまう。

マリアドール・パレス(コナクリ内のホテル)から見えた海岸。
ゴミがたくさん・・・
このゴミの中から何か良いものが出てこないか、と散策している人も結構いるようです。

2007年9月13日(木)
AM7:00から朝食。マリアドールの朝食はたいして美味しくないのに高い。3人で114,000FG。朝食に関してはロシェの方が上である。コーヒーも美味しくないし、パンも美味しくない。8:00にホテルを出る予定だったが、待ち合わせしているサコが来ないのです。スワは「サコの家はすぐ近くだから」と言うから迎えに行くことになりました。どうやらスワがちゃんとホテルで待ち合わせであると伝えていなかったらしいのです。。。合流してDNRST へ行く。竹元さん、大橋さんがタビノ氏に今回の活動の簡単なレポートを渡す。簡単な挨拶が交わされ9:10頃にDNRST を出る。そして、現地のお金も淋しくなってきたからと換金屋を探す。スワが案内した換金屋はレートが悪く(スワは同じだ、と言っていたがそんなはずはない・・・)、1USD=4050FGとか言っている。それでは田舎のローラとかと変わらないじゃないか・・・。交渉してレートを上げていくが、最終的には4450FG で落ち着く。竹元さんは他に行こうと、他の換金屋に行く。すると、1ドル4500FG。やっぱり・・・。スワと換金屋が連んでいるんだ。換金屋から小遣いもらってたもんなぁ・・・。それから日本大使館に行って挨拶。八嶋領事が河島医務官は昨日で退職して、お別れ会もして、もう日本に向けて発ちました、と。予定が早まったのか・・・最後にあの医務官にご挨拶したかったなぁ・・・残念・・・。「また、時間的に余裕があれば今晩夕食でも」と以前お話して下さっていたけれど、八嶋領事夫妻は休暇でパリに発たれるとのことである。それも我々と同じ便で・・・。もちろん彼らはエコノミーなんかには乗らずにビジネスだと思いますが。。。多分、お会いすることはないでしょうね・・・。偶然にでも空港でお会いしたらサロンにでも入れてもらおうかなぁ、という淡い期待は抱いていますが・・・。挨拶が終わると隣のスーパーに行って買い物をする。竹元さんはチーズ(旨そうだったけれど1kg 単位で売っているから、ボクは諦めた)とワインを買う。ボクと大橋さんはビールを買って、外に出てすぐに飲む。そして、薬局を探す。マラリア治療薬と虫下しを買うためです。日本ではなかなかマラリアの治療は難しいから、自衛するしかないんです・・・。スワに大きな薬局に行ってくれ、というのに小さな薬局ばっかり寄る。らちがあかないので、「この辺でとめてくれ」といって歩いて大きな薬局に行くことにしました。そこで、マラリア治療薬「Coartem(コアテム)」(河島医務官のお薦め品)68,000FG と虫下しの薬「Combantrin(コンバントリン)」28,900FG を購入する。大橋さんは既にマラリア治療薬のアルテスネイトを持っているにもかかわらず、「新しい薬ってどんなのですかね?」とさらにコアテムを購入。まるで薬マニアのようです。。。買うものを買ったら昼食。12:55から中国酒家へ。牛田先生達とコナクリを発つ日に時間をつぶすためにとやって来た中華料理屋でした。メニューに日本語が導入されていて驚きました。この前はこんなのなかったぞ・・・。クーチンサイの炒めもの、回鍋肉、麻婆豆腐、五目野菜炒め、白飯などとビール(Skol と青島ビール)、そして中国酒。日本語でメニューが書かれているが、メニューがわかりにくいときには筆談。漢字はとても便利である。世界を旅したいと思っている人は、まずは中国語、特に食べ物の名前を覚えていると世界各地で中華料理は食べられると思って良い。世界中に中国人は進出しているし、店もある。絶対にアジアの味に飢えることはないと思う。しかし、本当にアジアの料理は偉大です。日本料理ではないけれど、味のベースがやっぱり似ているのでしょう。ホッとする味で、大満足。ところで、この店、かなり前からあるらしいのです。今は改装されてきれいになっているが(牛田先生と来たときは新装って感じだったもんなぁ)、10年ほど前には既にあったし、給仕をしてくれている3人娘は知っていると言っていたなぁ・・・。それから、国立博物館へ行きました。ギニアに博物館があったのか・・・?知らなかった・・・。中にはいると展示物は・・・「え、これだけ????」という感じです。竹元さん曰く、「ま、展示物を売ってたもんなぁ。なくなったんでしょ」だって。博物館が展示するもの売って、展示できなくなったら意味ないじゃないか・・・。案内のおじさんに薦められて「Guinea Today」(60,000FG)というギニアの案内本を買う。すると奥から博物館の展示物の写真集を持ってきて、「これもどうだ?」と薦める。「こいつら買うな・・・」と思ったのでしょうね。でも、ギニアに関する本というのはホントに少ないので記念として2冊買う(30,000FG×2)。するとおじさん、調子に乗って「他にもあるから」と売店を案内するが、これは町中にもあるような木彫りなどが置いてある土産物屋。「もういいよ・・・」といって断る。そして、暑いからと、博物館の敷地内にあるBar でビールを飲む。本当にこっちではよく飲む・・・。まだ時間があるからとインターネットカフェに行きました。コナクリにたくさん開店したそうです。行くとたくさんのコンピューターが置かれていて、たくさんの人がパソコンにかじりついています。コナクリも変わったなぁ・・・と感じます。しかし、ボクは日本でもインターネットカフェなんて行ったことがなかったから、コナクリで初めて、インターネットカフェを体験したことになりますね。。。これもちょっと珍しいかも・・・。1時間(5,000FG)してからインターネットカフェを後にする。ホテルに戻って、土産物を探して町の中を散歩するが何もなく、歩いただけで帰ってきました(大橋さんはホテルの前の土産物屋で交渉の末、置物を買って帰ってきました)。16:45に部屋に入り、ゆっくりと風呂に浸かる。幸せのひとときです。何が恋しいって、風呂です、風呂。さっぱりしてから19:00から夕食に出かけました。しかし、大渋滞に巻き込まれる。通勤ラッシュです。なんとか1時間半ほどかけてベトナム料理「ハノイ」へ(飽きもせずに)。Thai スープとカニの料理を楽しむ。そしてビールとワイン。帰りも大渋滞は続く。ホテルの近くの交差点まで来て、「なかなか車が動かないなぁ」と思っていたら交差点内から煙が・・・事故か??車輌トラブルか??ガソリンの匂いがする・・・。。通行人も「逃げろ!!逃げろ!!」「車は下がれ!!下がれ!!」と叫んでいます。こんなところで爆発事故に巻き込まれたくなんかない・・・。。。スワもクラクション全開で人と車を押し分けて煙から遠ざかっていこうとする。そんな中、呑気に乗客をつかまえているタクシーもいたりしてイライラ。死んだら元も子もないじゃないか!!!しかし、無事にその現場から離れ、22:25にホテルに到着。それから竹元さんの部屋でチーズとワインを23:55まで頂き、歓談。それから部屋で荷物をまとめて明日に備えて、お休み・・・

2007年9月14日(金)
今日もホテルで7:00から朝食。昨日と違ってウエイターが「オムレツはいかが?」と聞いてきました。オムレツってあるの?あるなら、と頼むことにしました。それ以外は昨日とたして変わらないぱっとしない朝食。。。オムレツの料金が上乗せで一人45,000FG・・・高いよぉ。。。食後にプールサイドに出て海風に当たってのんびり。部屋に戻ると最終的なパッキング。11:30にチェックアウト。一泊520,000FG。ドルで払うというと1USD=4,000FG で計算。ま、換金屋と比べるとどうしてもレートは下がる。仕方がない・・・。それから土産屋を冷やかす。竹元さんと大橋さんは買っています。ボクも、最終的にはニンバ女神の栓抜きを買うことにしました(50,000FG)。12時過ぎにホテルを出て、エールフランスのチェックインカウンターへと・・・大橋さんはさんざんギニアに来ているのに初めてこのカウンターを使うと言っていました。ストや政情不安などでカウンターが開いていたことがなかったらしいのですが・・・いったい大橋さんって・・・相当ギニアには来ているはずなのに、なんて運の悪い。。。さすがに今回は難なくチェックイン。それから、また中国酒家へと行く。昨日買った中国酒がまだ残っていたので、持ち込むためです。もちろん娘さんも覚えていて笑顔で迎えてくれる。思う存分食べて15時頃までのんびりする。それからEaux et Fôrest(オー・エ・フォレ)へ行く。植物園みたいなものだけれど、きれいには管理されていない。散歩中、アリに咬まれる。。。ここまで来て・・・油断した。気を許すのは日本に帰ってからだ、と気付く瞬間です。16時頃、近くのイスラム教会からスピーカー放送で教典か何かが流れてきます。どうやら断食期間が終わったらしいのです(ちょうど、断食の時期に移動していたらしいのです)。ベンチで寝そべっている竹元さん、大橋さん、ベンチの周辺をうろうろ歩き回っていた(植物のタネを観ていた)ボクに近づいてくる黒人の初老の男性が一人。彼は、竹元さんとボクに握手を求め「お疲れさん」みたいな一言を・・・「何?なに??」と思ったが、日本人3人で髭を生やしていないのは大橋さんだけ。要するに、髭を生やした竹元さんとボクはイスラム教徒だと思われ、ダラダラしていたので断食をしてしんどい思いをしているのだろう、と思ったらしいのです。何てこったい・・・。しばらくそこにいると子供達が「シノア、シノア!!」と声を掛けてくきます。「中国人、中国人!!」と言ってきているのです。しかも、軽蔑混じりの呼びかけ。失礼極まりないはなしである。ボク達は絶対に無視を貫く。だって、日本で黒人の人を見かけて「ギニア人!!」とか「アフリカ人!!」って声を掛けますか??明らかに小馬鹿にしたような呼びかけである。ギニアの人々は「中国製品は質が悪い」と言ったりするが、ギニアではその質が悪い工業製品すら作っていないじゃないか!!と言いたくなる。しかし、そんなことは棚に上げて、若干、中国人をバカにし、しかし金を持っているので声を掛けて何かもらおうとしたりもする。白人をみかけても「フランス人!!」とは決して言わないのに・・・ここの人たちまでが白人至上主義みたいになっている・・・困ったもんだ。うっとうしいので植物園を後にする。それから近くの小さな中華料理屋に入る。完全にこれは飛び込みです。中国人のマダムが出てくるがフランス語があまりできないらしい。メニューも中国語のみ。腹も大して減っていないので、軽いものでもつまみながらビールでも、と思っていたのだが、これでは・・・。筆談と、彼女は英語が少し分かるという(香港に少しいたらしい)ので片言の英語、そしてジェスチャーで注文。メニューにないキムチ風の漬け物まで作ってもらってとても和やかに夕食を楽しむ。言葉が通じなくても、同じアジア人が異国の地で出会うとこんなに親しげになれるのか、と思えるくらいリラックスして時間を過ごす。8時前に停電があり、電池のランプのなか、ビールを楽しむ。ボクはまだリュックに入れていた懐中電灯を出して対応。マダムは「お~、コナクリに慣れてるね」だって・・・慣れたくないよ・・・こんなこと。。。予定の8時を過ぎて、店を後にする。空港まで最大2時間を予定していたのだかれど、道路が大変きれいになっていて(中国が作ったらしい)、道も空いていて(断食あけで人手が少なかったのかも知れない)とてもスムーズに空港へと向かう。それでも、片道2車線はある高速道路のような道を横切る人がいる。中央分離帯には2m以上の高さのフェンスまであるが、それを乗り越えていこうとする女の人までいる。危ないから止めてよ。。。しかし、ホントにスムーズに進み、20分程度で空港に着いてしまう。スワにお別れして、さっさと出国。ビールを飲んで時間を過ごし、搭乗。しかし、この搭乗、離陸の1時間も前にはじまり(これまでは大抵が離陸時間の10分前から、とか離陸時間になってから搭乗がはじまっていたのに)、搭乗手続も極めて順調。機械にちゃんと搭乗券を通して、どんどん人が滑走路へと送られていく。ギニア人の手荷物も少ない。引っ越し??と思うような荷物を持っている人はいない。機内にはいると人数確認には少し手間取るが、それでもこれまでと比べると短時間で確認が終了。仕上げの殺虫剤もアテンダント1人について2本(初めて来たときには1人あたり4本、片手に2本持って、V字に噴霧していた)。定刻からほんの少しだけ遅れての離陸となったのでした。あちこちで「この席は私の席だ!!」「いや、オレはここがいいんだ!!」とか、席でもめているということもなく、なにか物足りなささえ感じるくらい、あっさりと飛行機が飛び立とうとします。大橋さんにその話をすると、「それはかなり中毒ですよ」と言われました。大橋さんに言われるとなると、それは本物??疲れていたのか、酒の飲み過ぎか・・・ウトウトしている内にエア・バス330-200はパリへと近づいていたのでした・・・

2007年9月15日(土)
AM6:45、定刻より15分だけ遅れてパリ、シャルル・ド・ゴール(CDG)空港2Cにランディング。入国、荷物のピックアップまではスムーズに進む。竹元さん達とは8:45にRER の乗り場で待ち合わせ、ということにしてホテル行きのシャトルバスをつかまえることにしました(時間があるので、荷物をホテルに預けに行ってから合流しようということになったのです)。しかし、これがつかまらない。。。「あ、これか?」と思って聞くと「次のバス」と言われる。「次のバス」と言われること3回。しびれを切らし、違うホテルチェーン(またいつものIbis Paris Roissy Charles De Gaulle に予約。ここはAccor Hotels グループ)のバスをつかまえて「このホテルに行きたいんだけど」というと「OK、OK!!」・・・わかりにくいよ~。いつからそんなシステムになったんだよぉ。。。バスに乗ったのは何と8:30。これじゃぁ、絶対に間に合わない。今日は単独行動か・・・(間に合わなかったら別行動と言うことになっていたのです)。ホテルに着くと「まだ早いからチェックインは無理」と言われるけれど、「何ともならない?じゃぁ、仕方ないか」と出て行こうとすると「部屋を探すよ」と言ってくれて、部屋があるといってくれたのです。部屋にはいると早速、出る準備をしてさっさと出る。しかし、大幅に9時を過ぎている。もうさすがに・・・。と思っていると9時半少し前、RER の乗り場の付近で大橋さんに出会う。待ってくれていたのです。申し訳ない・・・。急いで切符を買おうとするが行列。自動販売機で買おうとするがこれはキャッシュカードで暗証番号が必要。キャッシングをしないボクは暗証番号なんて覚えていない。結局、並んで窓口で買うことに・・・。スイマセン。Sant-Michel まで出て、大学周辺で専門書を売っている本屋をひたすら探す。ギニアなど、西アフリカに関する本を買うならフランスだ。時間を費やして本屋を巡るがなかなかお目当ての本はない。最終的には自然史博物館(Museum National D’histoire Naturelle)へと行く。ここに本屋があるらしい。着くとちょうど昼休みの時間になってしまった。。。パリとはいえ、昼は暑いのでCafé に入ってビールを2杯。それから時間を見計らって本屋へ戻る。ジャックアダムの図鑑を見つけて大橋さんは大人買いをする(彼はアフリカの各地で植物の調査をしていたそうで、西アフリカの植生も詳しく調査し、図鑑にしているのです)。ボクも衝動に駆られていろいろ買いそうになったが、目的の本はなかったので購入は控える。向かいの売店で、カミさんへの土産としてエプロンを衝動買い。目的のものを買い終えると、昼食を食べる店を探す。竹元さんはコナクリにいるときからず~っと「牡蠣、牡蠣・・・」と言い続け(ベトナム料理屋では、牡蠣料理を注文したが違う貝が入っていたので料理を下げさせた)いたので、牡蠣のある店を探してMétro でRépublique まで行く。そこで念願の牡蠣とご対面。牡蠣とワインとフリッツとパン。フランスの牡蠣は全滅したとうわさで、広島から輸入されて、それが今はこっちで養殖されているらしいのですが。。。透明度の高い身で、日本で食べる牡蠣よりもよっぽど新鮮です。(日本でも本場で食べたら同じような牡蠣が出てくるのかなぁ・・・)。最初はNo.4 というサイズの牡蠣を一人頭9個頼んだが、追加でNo.2 か3(No.1が最も大きく、味が良いらしい)の牡蠣を一人6個とワインを追加で頼む。それもぺろり。一人15個もの牡蠣と、3人で2本のワインを平らげる。大満足である。昼ご飯としては異例の一人当たり5000円以上の食事・・・パリの物価が高いとは言え、よく食べたもんだ。16時過ぎに店を出て、今日の夕方の便で帰る二人とは最寄りの駅でお別れ。今日まで本当にお世話になりました。ありがとうございました・・・。それからボクはOpera へと行く。「おお、やっとオペラ座に着いたか」と一息。カミさんからお土産を是非、オペラ座で、と言われていたので、ここには寄らないと、と思っていたのです。イソイソと入口に近づくと張り紙が・・・「15日、16日は客は入れない」という内容の張り紙。「え、そんな・・・」絶句。ここだけは、と思ってきたのに・・・何てこと。。。しかし、よく見ると入っていく人たちがいるじゃないか。守衛さんみたいな人もいるし・・・そこで守衛さんに声を掛けてみる。「売店だけ観たいんだけど」と言うと、「荷物の中身だけみせて」と言われ、荷物チェックを受けた後中に入る。すると、「お、カミさんが言ってた場所にちゃんと売店があるよ~」と思って近づくが暗い・・・嫌な予感が・・・。張り紙で「15日は休みます。16日の12:30から開けます」・・・ダメだ。。。どうしようかと途方に暮れるが、凱旋門はまだ観ていないことに気付き、テクテク歩いて凱旋門まで。凱旋門までの道のりはちょっとした距離でした。歩いていると涼しくなってきて秋めいてきているパリとはいえ汗をかく。しかし、着くと壮大な凱旋門に感動。途中、カルティエの店やルイヴィトンの本店?などもみかける。「そうか、ここはあのシャンゼリゼ通りだもんなぁ・・・」汚く髭を生やし、リュックを背負って歩く場所ではないのかも・・・夕食をシャンゼリゼ通りのどこかの店で、とも思ったのだけれど、一人で入るような店はなかなかここではない。あきらめて、Nord 駅のあたりにでも、と思ってまた歩く。夕焼けに染まるパリの町を眺めながらあるくというのもなかなか・・・しかし、調子に乗ってぶらぶら歩いていると目的地とは違うところに出てしまった。。。Les Halles のあたりに出てしまったのです。パリの夜、特に北駅の付近は夜になると物騒だと聞いたのですが・・・若い不良っぽいお兄ちゃん達がたむろしているし、ここで夕食を食べても落ち着かないなぁ・・・。結局、ホテルに帰ることにしました。RER に乗ったのが20時を過ぎていました。途中、観光客だろうと思しき人に、「この電車は○○駅に止まりますか?」と聞かれるが、「多分空港まで止まらないと思いますけど・・・」と答える。こっちだって観光客だし、詳しいことは分からないんだけれど。。。でも案内には空港駅にしか止まらないようなことが書いてるでしょ?ホテルに着くと21時半を過ぎていました。荷物だけ部屋に置くとすぐにレストランへと。しかし、並んでいます。パリはラグビー・ワールドカップの開催中で、観光客が多いようなのです。混んでいるし、英語ができる人がマダム一人だし、まともにサーブできるのもそのマダムだけだし・・・。ウロウロしている中東系の若い男の子と、黒人の女の子とその他2人くらいいるみたいだけれど、片付け専門みたいだし、片づける要領も悪いし・・・結局、ビール1杯、リゾットとアイスクリームに2時間もかけて食事する羽目に。だって、なかなか注文した物が出てこないんだもん・・・お勘定の時にマダムが「スイマセン」って言ってたけれど、この状態じゃ仕方ないよね。部屋に戻ってシャワーだけ浴びてすぐに寝ました。

2007年9月16日(日)~17日(月)
朝からルーブルに行こうかとも思ったけれど、どう考えても時間が足りないので諦めました。またの機会にと期待して・・・。諦めたら気が休まる・・・。7:45まで寝ていました。久し振りにゆっくり寝たような気がします。朝食は例によってバイキング。ま、ここのバイキングは嫌いではないです。カリカリの口の中を切りそうなバゲットにチーズ、ハムなどを自分で挟んでサンドウィッチにして、オレンジジュースを飲んで喉の渇きを潤し、コーヒーで目を覚ます。最後はヨーグルト(ダノンBioです)を食べて、締めのコーヒーを・・・。朝食をゆっくりとり、部屋に戻ってパッキング。10時頃にはチェックアウトする。フランス語で、「朝食食べた?」とか「電話は使ってない?」とかその他諸々聞かれたけれど、何となく雰囲気で「ウィ、ウィ」と答えてしまうが、領収書にも間違いないし・・・支払いを済まし、無事チェックアウト。10:20空港。お土産をたのまれていたので、手荷物は減らしたい・・・でもホテルには体重計がなかったし・・・(パリ←→日本は一人20kgまで。エコノミーは・・・)。「確か空港でみたような気がするけれど・・・」と思って空港内をうろうろする。すると2C の近くにありました。体重計の周りには黒人の人がいっぱい・・・荷物が多すぎるんです、あなた達は・・・。測っているのをみていると余裕で30kgを越えていたりする。問題外である。ボクはと言うと、19kgくらい。廊下でパッキングし直す。手荷物を減らす。それから2F に戻るとチェックインがはじまっていた。12:19に出国。それから買い物。荷物があっという間にふくれていく。13:10には搭乗手続がはじまった。思ったよりも早い手続開始である。飛行機までの移動はどうやらバスを使うらしいのです。だから早いのか・・・ビールでも飲もうと思ったのに、そんな余裕もなかったなぁ。。。こんなに空港でバタバタしたのは初めてです。これまでは時間をもてあましていたからなぁ。13:30には飛行機の自席に着いていました。それから予定から遅れること40分、14:25に離陸。10分後には安定飛行になっていました。あっという間に帰路についてしまったという感じです。例によって寝付けず、シャンパン、ワインを飲むがやっぱり寝付けない。諦めて食べることにする。食べていれば疲れも多少はマシになるらしいし・・・サンドウィッチを食べ、カップ麺を食べ、カップ麺を食べてすぐに朝食までたべる。台風の影響で韓国を避けて北海道の方から関空に近づいていくがそれでもかなり揺れる。コーヒーなんかこぼれそうになるので、手に持ってバランスをとらないと行けないくらいです。しかし、離陸が遅れ、遠回りをしているにもかかわらず、予定からわずか14分遅れの8:44には無事関西国際空港にランディング。9:03に日本に入国。これで日本に帰ってきたということになったのです。いや~、今回もたくさん書いたような気がするなぁ・・・長かったし・・・(大橋さんに言わせれば短期らしいけど・・・)